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元バレンシアのマルセリーノ監督のインタビュー(前編)

元バレンシアの監督で、来年1月からスペイン代表を率いるのではという噂も出ているマルセリーノ・ガルシアがPodCastの番組「VEUS FÉ-CÉ」に出演しました。バレンシアに関するいくつかの質問に答えているので抜粋します。かなりのロングインタビューなので前後編で分けます。

元バレンシアのマルセリーノ監督のインタビュー(前編)

──最近の過ごし方
「リラックスしながら過ごしています。それ以外のことをするつもりはありませんでした。仕事をしていない時は楽しみたいですからね。家族、友人たちと一緒に、自分の場所を最大限に楽しんでいます」

──語学への関心
「少しずつですが英語を学んでいます。自分で期待していたよりも出来は悪いですが、根気よく努力していくつもりなので、もっと良くなることを期待してます」

──現役時代のキャリア選択
「選手としての私は、チームやオプション選択で良い決断を下せなかったかもしれないですね。ラシンを去る時、ブルゴスに行く可能性がありました。当時、ラシンがセグンダBに降格し、ブルゴスはプリメーラに昇格したんです。でも私はセグンダのレバンテに移籍し、そこで再びセグンダBに降格しました。ラシンはその後4年間でセグンダ、プリメーラと連続で昇格しました。ラシンとは4年契約があったので、そのまま残っていれば...。監督になってからの方が、良い選択をできているように思います」

──2008年にバレンシアの監督に就任する可能性があったこと
「大筋で合意に至っていました。チーム構成と経済面の両方で。しかし最終段階で、バレンシアが合意した内容を修正してきました。特にスポーツ面のことです。当時のバレンシアは複雑な状況にあり、非常に不安定なクラブになっていました。経済的な問題があり、監査を通じて予想以上の損失があることが判明したのです。一部の選手を売却可能としてマーケットに出したいと言われて、私は受け入れました。しかしその後、お金が必要なのでオファーが来るすべての選手が売却対象となる、と言われました。そして会長が替わったと思ったら、4ヶ月でまた会長が替わりました。とにかく不安定な要素がたくさんありました。その瞬間に私が折れたら、その先に発生するあらゆることについても折れなければならなくなると思いました。だからバレンシアとの契約を断るべきだと思ったんです」

──2017年のバレンシアとの契約と当時の目標
「2度の面会の後、マテウ(・アレマニー)がオーナーと会いました。スポーツ面の観点ですべてが議論され、財政面でオーナーの承認を得た後に正式なオファーとなりました。彼らが最初のシーズンに私たちに設定した目標はヨーロッパカップ戦圏内に入ることでした」

──最初の仕事
「ボロからの報告だけではなく、とにかく情報を収集してチームを分析しました。私たちにとっては才能だけではなく人間としての価値が非常に重要です。何か月も一緒に暮らしていく必要があり、お互いを尊重し、自分自身のためではなくチームのためにプレーする必要があります。私たちは分析結果を提示しました。多くの視点で一致するものがあり、いくつかは異なるものでした。チームに大きな変化を加えないといけないことはわかっていました。過去2シーズンの成績が11位、12位であり、ピースを変更する必要がありました。私たちはあまり大人数のチームを編成しませんでしたが、妥当だったと思います。ヨーロッパカップ戦に出場しないこともあり、人数は多くなくても上位争いをするための競争力がありました」

──マテウ・アレマニーの仕事
「レンタルで来た選手のほとんどが既にラ・リーガでの経験があったため、選手獲得面でのリスクは計算できるものでした。ゲデスと(アンドレアス・)ペレイラ以外はスペインでのプレー経験があったと思います。彼らはラ・リーガを知っており、私たちがどのようにプレーするかも、そして言語も知っていました。それはパフォーマンスを保証するものではありませんが、適応は保証されます。そして移籍期間の最終日にこの2人をウイングに組み込むことができ、私たちは希少で非常に競争力のあるチームを実現しました」

──パブロ・ロンゴリア
「パブロのことは知っていましたが、彼をバレンシアに連れてきたのは私ではなく、マテウです。今だから言えることですが、彼がバレンシアに来ることを2人から最後に聞いたのが私でした。彼は世界中の若手選手のこと、そしてその子たちの状況を良く知っていて、驚異的な記憶力を持ち、非常に整った仕事をする人間です。偉大なプロフェッショナルであり、彼が来てくれた時はとても嬉しかったですし、実際に素晴らしい補強をしてくれました。マルセイユの会長に就任したというニュースを知った時はとても驚きましたし、予想してませんでした」

──ピーター・リム
「最初のシーズンは丁寧に対応してもらいました。私たちは英語で話しましたが、とてもフレンドリーでしたね。2年目はさらに良い関係になりました。マテウはアニル(・マーシー)を通じてピーター・リムと関係を持っていました。彼らがチームの経済的なパラメーターを設定して、コーチングスタッフ、マテウ、パブロと私でスポーツ面で必要な改善点を指摘し、その設定された使用可能な投資額に基づいてそのプロファイルに適合する選手を探しました」

──2017/2018シーズンの素晴らしいスタート
「スケジュールが発表された時、あまり嬉しくありませんでした。非常にタフで難しいスケジュールでした。第2節にはベルナベウに行き、2-2で引き分けました。あの試合が選手たちの自尊心を高めたと思います。監督にとって最も助けとなるのは選手たちが良い状態にあることであり、あの時はまさにそうでした。3人の素晴らしいセンターハーフが居ました。コンドグビアは最初のシーズンに素晴らしい仕事をしてくれて、12月にコクランが来てくれて、前半戦のザザは驚異的でした。非常に良いチームで、良いプレーをし、良いカウンターアタックを備え、信じられないほど良い守備をしてくれました。全員がそれぞれの仕事に身を捧げてくれました」

──柔軟性のない戦術という評価
「自分自身の経験から、監督として変えることよりも信じることを貫くことの方が良いと思っています。10か月の規則性を維持することはとても難しいです。アプローチと実際の仕事が一致していなければなりません」

──ダニ・パレホの復活
「私は何もしていません。全ては彼の功績です。私たちは彼と話し、もし彼がバレンシアを去りたいと思っても私たちはそれを邪魔するつもりはないと伝えました。しかし、彼がチームに残って最高のパフォーマンスを披露したいと考えてくれれば、私たちのチームにとって不可欠な存在となることはわかっていました。彼には"よく考えて決めなさい"と伝えたと思います。その日のうちに彼はバレンシアに残る決断を伝えてくれて、私たちを喜ばせてくれました。ダニがベストパフォーマンスの時はラ・リーガのどんなチームでも改善させることができます」

──ザザとの関係
「ザザとの間に何も問題はありません。私たちは別の特性を持ったストライカーを探しており、彼にもそれを説明しました。ザザとは今も良い関係にあります。実際、そのシーズンの最後に私はこれまでに選手とした中で最も感傷的な会話を彼としました。彼はバレンシアで居場所を見つけていたので、バレンシアを離れることがとてもつらかったようです。でも私は選手たちに嘘をつきたくありませんでした。彼が人として私にどう接したかについて、そして彼がピッチで見せていたパフォーマンスを踏まえて次のシーズンに向けて彼がどんな状況にあるかを彼に伝える義務がありました。私たちは誠意に満ちた感傷的な会話をしました。バレンシアが私を解任した時、彼から非常に愛情のこもったメッセージを受け取ったことを覚えています。彼はとても良い人で、とても個性的な人間ですが、とても大きな心を持った男です」

──ナチョ・ビダルとの関係
「ナチョに関しては私は常に正しく接していたと思いますし、彼もそう考えている気がしています。私が言いたかったこととしては当時、彼より良い選手がチームに居たということです。彼はチャンスに恵まれ、特筆すべき能力を持った子ですし、個人的に見ても本物のクラックです。彼との日々の関係は親密でしたし、練習で改善していく姿もひとりの選手として以上に尊重していました。私の言葉が物議を醸しているのを見て、彼に事情を説明しに行きました。そうするべきだと思ったからです」

──ユヌス・ムサ
「彼が特別な能力を持っていたことは明らかでした。もし私が解任されずに仕事を続けていたら、彼は私のチームでデビューしていたことでしょう。既にトップチームの練習に参加していて、良いレベルのプレーを見せていましたからね。私たちの間では、12月より前にデビューさせて、10分間の出場で消えてしまうのではなく、常にトップチームで躍動できるようにしようと話していました」

──フェラン・トーレスとイ・ガンイン
「私がその2人を信頼していなかった、と彼らが私を非難する理由がわかりません。フェランは私のチームでデビューしました。私がバレンシアを追い出された時も、3試合のうち2試合でスタメン起用していました。フェランが選手としてのプロセスを進めたのは、私が解任されたシーズンに多くの時間プレーしたからです。ガンインは今、日曜日が来るたびにスタメンで出場し、マジョルカで継続的にプレーしたことで約束された選手となりました。彼らのような選手たちは普段から競争することが大切です。私たちのバレンシアは非常に高いレベルにあり、チャンピオンズリーグに2年連続で出場するなど、チームとしての明確な形がありました。チームが出場時間を確保できるのであれば若い子たちはプレーすべきですが、そうでない場合は成長を確実にするために外に出て、彼らができるだけ早く優れた選手になることを楽しまなければならない──例えばダビド・シルバは初年度にエイバルにレンタル移籍し、その翌年もバレンシアに戻らずセルタに行き、3年目には既にバレンシアのベストプレーヤーのひとりでした。間違っているかもしれませんが、これが私の意見です。私がバレンシアで仕事を続けていたら?きっと彼らはもっと多くの出場時間を得ていたでしょうね」

──2017年12月の交通事故(高速道路を運転中に飛び出してきたイノシシと衝突)
「皆さんと同様に私は神を信じています。あの事故は私よりも妻と母にとって特に悪いものでした。私は首を酷く痛めましたが、動くことはできました。母については、消防士が車から降ろすのに1時間半かかりました。母と妻は私よりも大きな怪我を負いました。人生には常に予期せぬことが起こります。命を救ってもらい、幸いなことに3人とも後遺症はありませんでした。でもあの時は全てが終わったと感じました」

──バレンシアを去ってから3年が経って
「予想外の強いショックを受けた9月11日(解任日)より今の方がずっと幸せだと言えますね。全ては過去のことです。これまでも働かない時期もありましたし、働いていてとても幸せだった時期もあります。そして今、また働かない時期ということです」

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