Diario ASのビジャのコラム(2022/10/27)
明日のビジャのトリビュート・イベントに合わせて、Diario ASがビジャのコラムを掲載しました。このコラムでは、バラハ、カニサレス、アングーロ、カルボーニ、ハビエル・スビラッツらがバレンシアでのビジャを回想しています。
明日の土曜は、バレンシアでプレーしたダビド・ビジャにとって、特別な日となるでしょう。
このアストゥリアス出身のストライカーは明日、メスタージャでクラブとファンからのトリビュートを受け取り、他のバレンシアのレジェンドと共にスタジアムのメイン・ファサードにパネルを飾ることになります。
クラウディオ・ロペス、カニサレス、バラハ、ムンド・スアレス、アジャラ、プチャデス、アリアス、アルベルダ、クララムント、フェルナンド、カルボーニ、アングーロ、ケンペス、ファン・クルス・ソル、エイサギーレ...皆、バレンシアの歴史の一部であり、クラブによって選ばれた選手たちです。そしてここにダビド・ビジャの名前も追加されます。
エル・グアヘの愛称で呼ばれるダビド・ビジャは、愛するスポルティング・ヒホンを通過し、レアル・サラゴサを経て2005年にバレンシアにやってきました。その交渉は当時のバレンシアのスポーツディレクター:ハビエル・スビラッツの手により行われました。
自身の目が確かであったことを証明したスビラッツは、その交渉の経緯を教えてくれます。
「2005年の夏、エルクレスをセグンダに昇格させた後にバレンシアに戻りました。その時点でバレンシアは既にビジャをターゲットにしており、彼に関心を伝えていました。私がバレンシアに戻り、彼の代理人だったホセ・ルイス・タマルゴと話した時に、ビジャがバレンシアに行きたがっている、と聞きました。サラゴサとの交渉が難しくなることは分かっていました。当時、彼には1200万ユーロの契約解除金が設定されていました」
スビラッツはビジャを逃したくなかったと言います。
「既に彼は多くのゴールを決めていました。しかも両足で。自分の近くでプレーする選手とも上手にプレーしていました」
バレンシアのフロントには彼の獲得に賛成しない人もいましたが、スビラッツは契約解除金満額をサラゴサに支払いました。
「当時のバレンシアには、ビジャに1200万ユーロは高すぎると考える人たちも居ました。彼らは"1000万ユーロでミラン・バロシュ(チェコ代表FW/当時リヴァプール所属)を獲るべきだ"と言っていました」
スビラッツの賭けが正しかったかどうかはもはや考える必要すらありません。ビジャは5シーズンの在籍で、225試合に出場して129ゴールを決めました。2008年の国王杯チャンピオンであり、欧州選手権とワールドカップを制し、歴史上最も成功を収めたスペイン代表のメンバーとなりました。そして2010年の夏、経営難のバレンシアは彼をバルセロナに4000万ユーロで売却しました。
バレンシアの歴史上最も多くのタイトルを獲得したミゲル・アンヘル・アングーロは明日のメスタージャでのトリビュート・イベントに参加するビジャについて次のように評価します。
「ファンが重要な選手として認めたのであれば、その選手はラ・リーガに相応しい選手だ。ビジャは特別な決定力があり、その力で多くのゴールを決めてきた。スタジアムは大きいので、たくさんのパネルを飾れるだろう」
ビジャがバレンシアに来た時、既にクラブのレジェンドであったサンチャゴ・カニサレスはビジャについて「成功への強い野心を持ったオープンでフレンドリーな人間」と語ります。そして「彼は仲間に支えられていると感じるのが好きだった」と付け加えました。そしてビジャの代表チームでのエピソードをひとつ紹介してくれました。
「ビジャがA代表に初めて呼ばれた時のことだ。私はベンチで彼の隣に座っていて、スタメンで出ていたモリエンテスが負傷した。彼に冗談で"ほら、出番だ!ウォーミングアップに出ろよ!"って言ったんだ。緊張していた彼は、何故監督(アラゴネス)じゃなく私に言われたのか理解できないまま、ベンチを出ようとした。それを見て笑ったから後で懲らしめられた」
プロとして400試合以上でプレーしたルベン・バラハも、他のレジェンドたちの意見に同意します。
「ビジャは競争力があり、私が今まで見た中で最もゴールに飢えていたストライカーだった。スポルティングでもサラゴサでも良い数字を残していたので、彼の活躍には驚かなかったよ。でもバレンシアでの一年目に28ゴールも決めてくれるとはね」
バラハはバレンシアのロッカールームに来たばかりのビジャの様子を話します。
「当時のバレンシアには多くのスター選手が居た。ビジャは最初はシャイな子だったので、ゴールを決めたら喋るよ、なんて言っていたよ。結局彼は、私が一緒にプレーした選手の中で最も多くのゴールを決めたストライカーになった」
そしてビジャがバルセロナに移籍した理由については次のように語りました。
「彼はバレンシアですごく快適に過ごしていたので、バレンシアを去ったのはタイトルを獲るためだったのだと思う。2008年の国王杯で優勝はしたけど、その時のバレンシアはリーグ優勝したり、チャンピオンズリーグに出るのが当たり前のチームではなくなっていた」
ビジャのトリビュート・イベントについては次の通りに話しています。
「彼のパネルが飾られると聞いて、彼はそれに値すると感じたよ。クラブに足跡を残すのに、必ずしも長く在籍する必要はない。それに彼は常に誠実な男だ。それが多くの人に愛される理由だと思うよ」
バレンシアのシャツを着て404試合(非公式戦含む)でプレーしたメスタージャのもうひとりのレジェンド、アメデオ・カルボーニもビジャが生まれながらのスコアラーであったという意見に同意します。
「ハードワーカーな一面と、サッカー選手としての資質に私たちは驚かされた。サラゴサでも良い仕事をしていたが、あの当時のバレンシアはトップクラブのひとつだった。彼はあらゆる形でゴールを決めてきた。両足で、CKからの頭で、時には40mの距離からも」
そしてカルボーニは、ビジャのバルセロナへの移籍について次のような持論を述べました。
「メガクラブから沢山のオファーが届いた場合、バレンシアーノでなければバレンシアに留まることは難しいんじゃないかな」
ビジャはタイトルの無いバレンシアニスタの世代を象徴する選手として、常に愛されてきました。明日のバルセロナ戦の試合前にはメスタージャでファンの心からの彼に相応しい賛辞が贈られ、今季100周年を迎える伝説のスタジアムに彼のパネルが飾られます。