マルセリーノ監督のお別れ会見
11日に解任が発表されたマルセリーノ監督が、昨日午後、バレンシア市内のメリアホテルにてお別れの会見をしました。
「とてもつらい一日です。皆さんにはこの素晴らしい2年間、暖かく接して頂いたことに感謝します。手紙を読み上げることは好きではないのですが、質問に答える前に始めさせていただきます。この記者会見にお集まりいただいたのは、皆さんにお別れを言う必要があると感じたからです」
マルセリーノ監督の手紙
「バレンシアでは素晴らしい2年間を過ごしました。私たちにとって指導者としての最初のタイトルを獲得し、2年連続でチャンピオンズリーグの出場権を得ました。そして、それを実現してくれた素晴らしい選手たちと共にこのチームを楽しむという特別な喜びを手にしました。彼らとこの時間と成功を共有できたことを光栄に思います。素晴らしい経験を得ました。選手たち一人ひとりに感謝しています。彼らの存在はこれからも心の中にとどまり続けることでしょう。
また、このエキサイティングなプロジェクトの成功を信じて私たちを信頼してくれたマテウ・アレマニーにも感謝しています。まさに勝者のプロジェクトでした。マテウとは専門分野を越えた友情を築くことが出来ました。そして、全てのクラブの従業員にも、皆さんの献身的な努力と働きに感謝しています。
私がこのクラブに来た時、プレゼンテーションで私は、チームが見せる試合やそれを作り上げるチームを誇りに思えるようにすることをファンの皆さんに約束しました。チームが目標を達成した今、私はその約束を果たせたと自負しています。就任以来、特に困難な時期に私たちを支え続けてくれた素晴らしいファンの愛情が心から消えることはありません。私たちも皆さんを誇りに思いますし、ずっと感謝し続けていくことでしょう。
希望を取り戻し、スペインとヨーロッパで最高のクラブの1つとして相応しいバレンシアに戻せたことを私たちは誇りに思います。今は突然の出来事に傷ついていますが、時間がこの傷を癒してくれるでしょう。そして私たちは敬意、謙虚さ、誠実さを持ってプロフェッショナルとしてこの仕事を続けていかなければなりません。
この記者会見の後、私は一時的に表舞台から離れるつもりです。だからこそ、この美しいプロジェクトに賛同してくれた全ての人たちに、このような場でお別れの挨拶をしたいと思いました」
質疑応答
──選手たちに別れを告げた瞬間はいかがでしたか?
「選手たちとの最後の会話はとても悲しいものでした。感謝の気持ちを込めてその瞬間を過ごしました。彼らからの言葉に彼らの愛情と敬意を感じました。私たちにとって最も重要なことは彼らと共に楽しみ、苦しみ、戦うことでした。今日話したことを彼らに最初に伝えました。彼らは私の人生の最後の日まで、私の心の中にあり続けることでしょう(言い終えて号泣)」
──アニル・マーシー会長とは話しましたか?
「当初、クラブは2人の従業員を使って手紙で私に解任を伝えようとしていたようです。でもマテウがその手紙を持って個人的に伝えてくれました。彼が私をこのクラブに連れてきたから、だと思います。マーシーやクラブの他の誰とも話はしていません」
──堅実に見えたプロジェクトが壊れてしまったのは何故でしょうか?
「この状況のきっかけは国王杯だったと私たちは確信しています。シーズン中、国王杯を諦めるようにというメッセージを直接的にも間接的にも何度も受け取りました。ファンは国王杯を戦い、勝ち取ることを望んでいました。当然選手たちも優勝を信じて戦っていました。私たちは国王杯で勝ちたかったのです。国王杯で優勝したことがこの状況の引き金となったのは間違いないでしょう。そう私たちに話した人間も居ます」
──エウジェニオ・ボタス(マルセリーノの代理人)は"バレンシアの新たなジョルジュ・メンデス"としてクラブ運営や移籍交渉に関与していたという報道があります。彼がクラブに関与しすぎたという話についてどう思いますか?
「私がマテウのプロジェクトに賛同し、バレンシアに来てから、5回の移籍期間で50以上の移籍交渉をクラブは行いました。その中で私の代理人が関与したのはネトの獲得と、メドランのアラベスへのレンタル移籍の2件のみです。そしてこの26ヶ月間、彼の顧客である選手はチームに一人も居ませんでした。つまり、それを言った人間が嘘をついているということです。このデータはその検証を簡単にしてくれるでしょう。50件以上の交渉の中で2件、そしてボタスの顧客は一人も居ない。これまで他の監督が就任していた時にこのようなことがあったと思いますか?これは彼も含めて私たちがバレンシアで働き、バレンシアを守り続けてきた誠実さの証明になるはずです」
──このような解任のやり方、そしてあなたが練習をしている間に別の監督がオーナーと会っていたことを知り驚きましたか?
「私は、選手たちはもちろん、立場の上下関係なく一緒に働いた全ての人に愛情と敬意を持っています。その一人ひとりが今回の件について反応しています。私が行う物事は誠実さとプロ意識に基づいています」
──解任発表された当日、パテルナに行って何を感じましたか?
「最初は信じられないと思いました。その後は何を言っていいかわからなくなりました。望んだ目標を達成した後の決断としては論理的ではないと思います。2017年5月にクラブと合意した内容を常に尊重しながら続けてきた仕事を突然取り上げられました。不信感と無力感が残っています」
──この数か月間に何が起こったのでしょうか?
「6月30日、マテウと連絡を取り合う中で、クラブの経営モデルが変更されたように見える状況がありました。なので、マテウにシンガポールに居るオーナーと話すようお願いしました。そこでは私たちが想像したようなことはなく、何もない通常の状況がありました。彼は私たちの仕事を信頼していると言っており、そこにプロジェクトの変更はありませんでした。この道を進んでほしい、と言われました。しかし、スイス合宿に到着した時そうではないことがわかりました。オーナーは経営モデルを変更する権利を持っており、変更された場合、私たちがその変更に適した人材であるかどうかを判断し、私たちに伝える立場にあります。しかし、実際にモデル変更されたにもかかわらず、そう伝えられませんでした。その後、マテウとパブロ(・ロンゴリア)の一件がやってきました。その瞬間から物事は非常に困難になりました。受け入れられる部分と受け入れられない部分がありました。仕事がこれまで通りに発展しなくなっていきました」
──リムはバジャドリーでチャンピオンズリーグ出場を祝福していましたが、セビージャ(国王杯決勝の開催地)でお祝いはありましたか?
「セビージャでのオーナーからのお祝いはありません。さらに、7月19日にマテウがシンガポールに行った時もチャンピオンズリーグ出場のお祝いはありましたが、国王杯については何もありませんでした。私の驚きを理解してもらえるでしょうか」
──オーナーは国王杯を軽視していたということですね。
「彼にとって国王杯はマイナーで、チャンピオンズリーグ出場を危険にさらす二次的な大会なのです。でも私たちにとって国王杯、特にヘタフェを破った後のメスタージャと選手たちの一体感は、チャンピオンズリーグ出場のために絶対的に必要な条件でした」
──ビジャレアルでの突然の解任を思い出します。
「結果は出しており、それが解任の引き金ではない、という意味では共通していると言えるかもしれません。ビジャレアルでは、2部リーグで昇格圏内から勝点8差に居たチームに就任し、1月からの半年で1部に昇格させました。その4年後、チャンピオンズリーグ出場したものの、彼らは私を解任しました。バレンシアでは、クラブに相応しくない12位という位置に居たチームを引き受けました。最初のシーズンはチャンピオンズリーグ出場、国王杯ベスト4。昨季はチャンピオンズリーグ出場、ヨーロッパリーグベスト4、そして国王杯。レアル・マドリー以外に決勝戦で負けたことのないメッシのバルセロナを倒しました。私は権力について不満を言うことはありません。マテウがGMで私の上司であり、プロジェクトの責任者でした。バレンシアの利益のために、そしてチームの成長のために意見を述べたことはありますが、最大限の敬意をもって行動してきました」
──国王杯に優勝した後、常に解任される心配がありましたか?
「解任されると考えたことはありませんでした。7月19日のミーティングでオーナーは私たちの仕事を信頼していると言ってくれていましたから。そう言われた後に解任されるなんて想像できませんでした。このプレシーズンに危険な日がありましたが、私だけではなく、GMも含めてのテーマでした。だからこそ今回起きた全ての事象が、国王杯が引き金であったと推測せざるを得ないのです」
──会長の発言では、新監督を選んだ理由がクラブのプロジェクトとして若い選手にチャンスを与えるため、というものでした。
「バレンシアでの2年間、チャンピオンズリーグ出場を義務付けられる中で、カンテラから5人の選手をデビューさせました。デビューという側面以外にも、フェランはバレンシアの歴史上最年少で50試合出場したプレーヤーになりました。U-21代表の選手だったガヤは今、A代表の選手です。デビューしたばかりだったソレールはレギュラーとして定着しました。カンインは強豪リーグで彼の年齢で最も多くの出場時間を得ているひとりです。私は誰にも若手選手の起用を強制されたことはありません。監督に選手起用の自由を与えることは論理的ですし、バレンシアでもそのようなことは一度もありませんでした。そこに原因がある、と若い選手を使って私の解任を正当化するような人はわずかでしょう」
──ティエリー・コレイアはあなたも同意しての獲得だったのでしょうか?
「私たちには他に優先したいターゲットが居ましたが、経済的に実現不可能でした。彼を獲得する可能性があると我々が知った時には既に契約まで済んでいると言われました。私には他の解決策がありませんでした」
──ファンにとってはまだあなたが監督であり続けるでしょう。多くの人が、セラーデスはリムのおもちゃになるだろうと考えています。
「ファンにはとても感謝しています。バレンシアのファンは監督にとって難しいと言われますが、多くのファンに望まれながら就任できたことは幸運でしたし、去った後も、ここでの2年間の誇りを持ち続けることが出来るでしょう。ここで私はとても幸せでした。挑戦することに情熱を傾け、忘れられない時間を過ごしました。しかし今はセラーデスをサポートしなければなりません。バレンシアは非常に大きなクラブです。団結することが目標達成のためには必要不可欠なのです。全ての人間でこの位置を維持するために戦わなくてはなりません。彼の幸運を祈っています」
──2年以上前、プランデッリが辞任した時、"オーナーがサッカークラブとは何かを理解していない、会社として成り立っていない"とクラブを非難しました。
「私はその質問に答える立場にありません。バレンシアはスペインとヨーロッパの強豪です。全員が戦わなくてはなりません。私たちは常にこのクラブの期待と要求に応じて成長することを目指してきました。クラブの責任者がそこまで理解しているかどうかは私にはわかりません」
──ジョルジュ・メンデスはクラブでどのような役割を果たしているでしょうか?
「私の代理人については、個人的な影響と事実に基づかない悪名を払拭するために話しました。ただ他の代理人については評価することはしません」
──ロドリゴの一件で、オーナーはサッカーよりビジネスを優先させることが明らかになりました。あなたは虐げられていると感じませんでしたか?
「オーナーはクラブの経営モデルを変更することが出来、その決定には常に敬意を払う必要があります。変更することはオーナーの権利ですが、時間とやり方が重要なのです。私は誠実かつ忠実であるように努めました。最後までそうであったと胸を張って去ります。オーナーは、適切な時に選手を売ることが出来ます。そして私たちはその状況を解決する準備をしなくてはなりません。私たちの準備は出来ていましたが、クラブから他の選手は来ない、少なくともロドリゴくらい重要な役割を果たせる代わりの選手はマーケットに居ないと伝えられました。代わりの選手がいる場合、選手を売却することができますが、今回行われようとしていたのは9月2日の0時の販売でした。目標を下方修正し、チームの成長を諦め、チャンピオンズリーグ出場を諦めるのであれば、その選択も可能だったでしょう」
──ラフィーニャの件は今回の決定に影響を与えたのでしょうか?
「与えていないと思います。7月19日の時点で、オーナーは彼の移籍を受け入れられないと言っていました。次にレンタル移籍の可能性が提示され、レンタルであればOKと言われましたが、その後レンタルでも受け入れられなくなりました。その時にはもう、オーナーは私たちの旅が短くなることを既に知っていたのかもしれません」
──このプロジェクトは未完成です。メリトンがバレンシアから手を引いたら、今回成し遂げられなかったものを完成させるためにここに戻ってきたいと思いますか?
「再びバレンシアを率いることがあったら、また楽しみながら仕事をすることでしょう。私たちは成長することに喜びを見出していました。私たちの考えは常に成長し続けることにありました。それは私がここに来た時の最初の約束であり、常に尊重してきました」
──プレシーズンの間に辞任は考えなかったのでしょうか?
「私は自分たちの同僚や、選手たちに対して仕事を続ける義務がありました。それは彼らが私と共に働くことを望んでいたからです。そしてその気持ちは、ファンにも成長した姿を見せるという義務を作り出しました。移籍期間が閉まってチームの競争力を維持することが出来たと感じましたし、再び4位以内に入るという目標を達成し、他の大会でもより上を目指すことができると信じていました」
──もし過去に戻れたら、同じように行動しますか?何か間違いを犯したと思いますか?
「何かしらの間違いを犯したことは確かでしょう。ただ、常に正しいことをする才能が私にあるとは思いません。監督は常に間違いますし、あらゆる変化に正解で答えることは不可能です。もちろん、出来るだけ間違いの無いように努力はしますが、常に正解を導きだすことは不可能です。しかし、それに気づかない、あるいは成長することに関心のない人たちがいるのです」