元バレンシアのザザのインタビュー「何が起きてもバレンシアを離れたくないと思っていた」
元バレンシアのシモーネ・ザザ(31)が昨夜、Tribuna Deportivaのインタビューに出演しました。いくつかのメディアがその模様を記事にしています。
シモーネ・ザザは今でもバレンシアを愛しています。彼もまた、バレンシアの今季の残留争いを見て苦しんできたひとりです。Tribuna Deportivaのインタビューでザザは次のように答えています。
「バレンシアの試合は全て見ました。私もたくさん苦しみました。バレンシアほどのクラブが残留争いをしていてはいけませんが、降格という惨事が起こらなかったことは良かったと思っています」
このイタリア人FWはかつてロッカールームを共にしたメンバーと連絡を取り続けています。
「ジャウメやガヤと何度か話しました。彼らは多くの苦しみを味わってきましたが、それは私の友人だからではありません。彼らがバレンシアを愛しているからです」
ザザは自分のバレンシア加入時のことを回想しました。
「プランデッリ監督から来てくれという連絡があり、考えるための時間を2日間ほしいと答えました。でもその翌日に彼が辞任してしまったんです。当然移籍の話は無くなったものだと考えましたが、ビセンテ・ロドリゲスが私に強く賭けてくれたので、バレンシアに行くことを決断しました」
マルセリーノ監督との関係については軋轢があったことは認めつつも「素晴らしい」ものだったと強調しました。
「マルセリーノはバレンシアのために働きすぎるくらい働いていましたし、バレンシアを助けていたと思います。彼との最初のシーズン(2017/18)は、私のキャリアの中で最も幸せな一年間でした。2018年の1月にはチェルシーからのオファーと中国からの信じられない条件でのオファーがありました。でも私はバレンシアに残りたかったので断りました。その後、出場機会が減っていきました(笑)」
「私たちは衝突したこともありましたが、彼も私も、お互いに常に敬意を持って、誠実に向き合って話してきたので、そこには僅かな遺恨もありません。たまたま監督がロドリゴと一緒にプレーする違うタイプのストライカーを望んでいて、起用しないつもりだと伝えられました。最初はたとえプレーできなくても残りたいと伝えましたが、良い条件での契約を結んでいたので、私の給与のせいでクラブに負担をかけたくありませんでした」
そして退団について。
「プレーする機会を与えられないと伝えられたので、将来について選択する必要がありました。あと3年の契約が残っていたので、プレーせずに残るという選択が出来たことも事実ですが、バレンシアにそんな圧力をかけたくなかったですし、プレーしてないのにお金をもらうようなこともしたくなかった...何が起きてもバレンシアを離れたくないと思っていたのですごく悩みましたし、苦しみました。チームメイトにお別れを告げる時は心から悲しかったです」
ザザが退団した2018/19シーズン、チームは国王杯を勝ち取りました。
「もちろん試合を見ていました。あの時は心の底から嬉しかったです。ほとんどの選手がチームメイトでしたし、まだ自分のチームのように感じていましたから」
ザザはバレンシアCFだけではなく、バレンシアの街にも特別な感情を抱いています。
「バレンシアは私の家のようなものです。あの街も、あの雰囲気も恋しく感じています。でもバケーションにバレンシアに戻る気持ちにはなれませんでした。一度、決心して親友と一緒にバレンシアを訪れた時に感傷的になってしまい、旅行を楽しめなかったんです」
このストライカーは、昨年の夏以来フリーエージェントの状態にあり、ピッチの外で複雑な一年を過ごしています。
「トリノとの契約を終えた時、イタリアの他のクラブ、中東、中国などからオファーがありました。でも父親になる予定があったので、家族と一緒の家に居ることを選びました。私はまだ若いし、レアケースかもしれませんが、それが家族にとってベストな選択だと思ったんです。そして今は家族と一緒に幸せに暮らしています。もし本当に気に入ったオファーが届いたら、そのチームに行くでしょう」
新しいクラブと契約し、再びピッチに戻る意思があるかを聞かれた彼は、「ドアは閉めていない」と答えました。
「12歳の頃からプレーしてきたので、練習がある生活、サッカー選手としての生活が当たり前でした。ロッカールームや練習、試合を恋しく思いますが、ピッチに戻る時は情熱がなければなりません。本当にサッカーをやりたい、サッカー選手に戻りたいと思うのであれば、ですね」