スカウティングマネージャー、ホセ・ヒメーネス氏の表彰とインタビュー
バレンシアのスカウティング部門の責任者であるホセ・ヒメーネス氏が、長年バレンシア州のサッカーの発展に貢献したとして、バレンシア州サッカー連盟(FFCV)から表彰され金メダルを受賞しました。これはFFCVにとって最高の栄誉です。
「この素晴らしい栄誉を送っていただけたことについて、私の家であり、私が全てを捧げてきたFFCVに感謝します」
ヒメーネス氏は授賞式でこのようにコメントしました。
現役時代をパトロナート、シージャFC、カタロハCF、マニセスCF、モチョリCFといったバレンシア州内のクラブで過ごしたヒメーネス氏は、現役引退後にFFCVと契約して各年代別バレンシア州選抜(U-15、U-16、U-17、U-18)の指導者として約15年間バレンシア州のサッカーの発展に貢献してきました。
しかし、ヒメーネス氏のキャリアの絶頂期はFFCV退職後、バレンシアCFのスカウトとしての時間になるでしょう。
FFCVとの契約を終え、バレンシアCFと契約したヒメーネス氏は、クラブでの26年間にわたるキャリアの中で115人の少年をプリメーラに送り出してきました。ダビド・シルバ、イスコ、ジョルディ・アルバ、ラウール・アルビオル、ファン・ベルナト、パコ・アルカセル、ホセ・ルイス・ガヤ、フェラン・トーレス、カルロス・ソレール...これらはヒメーネス氏が発掘し、バレンシアCFに連れてきた選手たちのリストです。
クラブも昨年2月、パテルナ練習場の30周年式典で彼を表彰しました。
オフィスでもスタジアムでも常にノートとメモを携えて、バレンシアCFのために働いてきたヒメーネス氏について、SUPERDEPORTEが今回インタビューを掲載しているので、紹介します。
──FFCVの金メダル。あなたにとってこの賞はどのような意味を持ちますか?
「15年間コーディネーターやバレンシア州選抜監督としてFFCVに私の人生の全てを捧げてきたので、特別な一日になりました。ハビエル・スビラッツから、同じことをバレンシアCFのためにやってみないか、と声を掛けられたのですが、FFCVでの経験が大いに役立ったと思っています。
そしてバレンシアCFで選手を集め始めて26年が経ち、今も同じことを続けています。これが私の始まりであり、私の選手たちの始まりでもあります。私が責任者であるからこそ、選手たちはずっと全てを私に任せることを許してくれています。だから、これは全員の仕事に対する評価だと思っています。彼らが居なかったら私は今のようにはなっていなかったと思います。
こうして賞をいただいたことは、年齢を加味してのこともあるのでしょうが、とても嬉しく思います。私がメダルをもらった時、妻や子供たち、孫たちに捧げる気持ちとは別に、選手たちが主役であると言いました。私は育成クラブに囲まれており、彼らにもスポットライトを当てたかった。何故なら、私たちは彼らを日々働かせ、事実上、何の手段もなく成果を上げているからです。賞の一部は彼らのものです」
──バレンシアCFが獲得した育成年代の選手のうち115人がプリメーラでプレーしました。
「私たちは巻物を持っているとよく言われます。クラブが契約して採用した全ての選手たちがいつデビューし、現在どのチームに所属しているかが記載されているものです。それも115人分となりました。多くの選手がバレンシアCFにパフォーマンスで貢献し、トップチームの選手となり、チームのコストを削減するという役割を果たしています。
そして多くの選手が売却益(移籍金)と育成費で数百万ユーロという金額をクラブに残していきました。アルビオル、シルバ、イスコ、パブロ・エルナンデス、ジョルディ・アルバ、ベルナト、アルカセル、フェラン、ソレール...本当にたくさん。そのほかにもラファ・ミルやボルハ・イグレシアス、トニ・マルティネス、フラン・ナバーロ、ガッサニーガ、フェラン・ジュグラなど、バレンシアで力を発揮できなかったものの、他のクラブに評価された選手たちも居ます。これまでそのようなことを沢山経験してきました。リストは無限にあります」
──クラブの金庫に何百万ユーロを残してきたのでしょうか。
「売却益と育成費を合わせると数百万ユーロになるし、今ではマーケットで飛び交う金額も増えていますので、もっと増えていることでしょう。現在クラブは、ヤレク(・ガシオロウスキ)、モスケラ、ヘスス・バスケスのような選手たちを育成して世に送り出そうとしていますし、ハビ・ゲラ、ルボ(・イランソ)、セサル・タレガ、ファク(・ゴンサレス)、マリオ(・ドミンゲス)、ゴサルベスなど、次の選手たちが育って来ています。私たちは彼らのようなトップチームに到達できる選手たちを探し続け、その後はクラブの手に委ねます」
──あなたが最初に手がけた選手は誰でしたか?
「最初はエクトル・フォントとシスコ・ムニョスでした。シスコはマジョルカから、フォントはビジャレアルから連れてきました。フォントについてはその後ビジャレアルから連絡があり、当時は存在したバレンシアとビジャレアルの友情のために、彼は戻ることになりました」
──最も苦労したのは誰の時でしょうか?
「最もタフな交渉だったのはジョルディ・アルバです。私は彼を連れてくるためにバルセロナに4回行かなければなりませんでした。コルネジャは非常にタフな交渉相手で、私には無理な金額を要求されましたが、4回目の訪問の後、契約を交わすことが出来ました」
──連れてきたかったものの実現しなかった選手はいますか?
「連れてきたかった選手はたくさんいます。お金を払えず断念したことが多かったですね」
──あなたが連れてきた選手の中で誰を一番誇りに思いますか?
「全員です。たとえばパジャルドは私が彼のために全てを出し尽くしたことを知り、"プリメーラでプレーするつもりだ"と私に告げて、シスコ・ムニョスと同じように実際にその夢をかなえました。多くの選手がプリメーラでプレーすることを目標としていましたが、彼らが成功したのは彼ら自身の性格と才能だけではなく、精神的な強さのおかげでした」
──私はシルバとイスコがあなたの最高傑作と思います。
「シルバとの契約については、私とエドゥ・マシア(元バレンシアのスカウト、元スポーツディレクター)に協力してくれる代理人がカナリア諸島に居ました。División de Honorに挑もうとしていたシルバ、ビトロ、ジオバンニを含む4人の選手を連れてきてくれました。私たちは彼らを見て、4人全員と契約しました。
イスコについては彼の父親からオファーを受けたのがきっかけです。私は彼をモンカダのテンディージョ・トーナメントに彼を連れて行きましたが、そこで誰も説明できない能力を持つ彼の姿を見ました。まさに魔法でした。彼の成長を見ることが出来たことは幸せでした。シルバもジョルディ(・アルバ)も、私が契約した選手全員が私にとっての全てです。彼らは私にとっていつでも最高であり、私の誕生日も覚えていてくれるのですから」
──あなたの選手たちの中でも最新作の2人、ディエゴ・ロペスとアルベルト・マリは既にトップチームで素晴らしいパフォーマンスを見せています。
「エスパニョールのストライカーを見るためにウレーニャ(バレンシアのスカウト)と一緒にバルセロナのスポーツ複合施設に行ったのですが、そこにブルラマキとディエゴ・ロペスの姿がありました。ディエゴは速く、鋭く、スペースを突ける選手で、当時の私は純粋なセンターフォワードだと見ていました。今の彼はウインガーとして試合に参加し、良いパフォーマンスを見せていますね。その後、リカルド・バジェステルとマヌ・ミコ(共にバレンシアのスカウト)をマルベーリャに居た彼のところに行かせて、契約にこぎつけました。
アルベルト・マリについては、彼の得点能力が非凡であることは最初から明確でした。頭で、足で、ボレーでと、あらゆる種類の彼のゴールシーンの映像をチェックしました。エイバルで姿を現した時に彼と契約し、今は非常に重要なパフォーマンスを見せてくれています」
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