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ガルシア・ピタルチがSDに就任、コメント

クラブはヘスス・ガルシア=ピタルチ・マルコ氏(52)がクラブのスポーツディレクターに復帰する事を公式発表しました。

フランシスコ・ルフェテと彼のスタッフ(ファビアン・アジャラを含みます)らが技術部門の職を降り、クラブから去って以来チームが遭遇している不振とアイデンティティの危機により、
ピーター・リム氏は昨夏以来不在となっていたスポーツディレクターの役職を復活させる決断をしました。そして、その役職のためにシンガポール人オーナーが連れてきたのがガルシア・ピタルチ氏でした。

スソの愛称で呼ばれるガルシア・ピタルチ氏は、バレンシア州の出身。現役時代は左のウイングを本職とする選手でした。バレンシアのカンテラで育ち、1983/84シーズンに20歳でトップチームデビュー。1985年にエスパニョールに移籍するまでの2シーズンでリーグ戦37試合に出場し、9ゴールという成績を収め、U-21代表にも招集されるようになりました。

しかし、1986年に腎炎にかかり1シーズンを棒に振ると、エスパニョールでの居場所も無くなってしまい、2部リーグのフィゲラスに移籍。その後は2部リーグでほとんどのキャリアを過ごし、1997年に34歳で現役引退しました。

ガルシア・ピタルチとバレンシアの関係は、彼の現役引退後に再び始まります。2000年にカンテラ統括部長に就任すると、2002年にはハビエル・スビラッツ氏の後任としてトップチームのスポーツディレクターに就任。しかし、当時の会長マヌエル・ジョレンテ、当時の監督ラファ・ベニテスらとの関係悪化により2003年の12月に同職の解任を通告され、2004年6月にクラブを去りました。2003年の夏にフランス人サDFレヴァイレールの買い取りに失敗し、ウルグアイ人FWファビアン・カノッビオを買ってきた事についてベニテスが残した「ソファーを頼んだらランプを買ってきた」という言葉はあまりにも有名です。

2006年にはアトレティコ・マドリーのスポーツディレクターに就任。在籍した5シーズンの間に、ディエゴ・フォルラン、ホセ・アントニオ・レジェス、シモン・サブローサ、フィリペ・ルイス、ディエゴ・ゴディンらを獲得。チームは2009/10シーズンにUEFAヨーロッパリーグ、UEFAスーパーカップのタイトルを獲得しました。昨季は、UAEのバニーヤースでスポーツディレクターを務め、元バレンシアのアンヘル・デアルベルトをはじめ、デポルティボやエスパニョールなどでプレーしたジョアン・ベルドゥ、レバンテやヘタフェで監督を務めたルイス・ガルシア・プラサらの獲得に尽力しました。

クラブは1月13日に、この新たな技術部門の責任者のプレゼンテーションを行いました。今回がバレンシアで3度目の仕事となるガルシア・ピタルチは、会見で以下のように語っています。

──2度目のSD就任となりますね。
「前回の就任時は、既にスソ・マルティネスやスビラッツらが作り上げた技術部門、ラニエリ、クーペルらが作り上げたチームがあった。クラブの歴史上最高の選手たちを揃え、タイトルを勝ち取れる世界最高のチームがあった。加えて、就任前に2年間カンテラで働いていて選手たちを知っていた事もあり、状況はより容易であった。今回は、以前と比べるとよりタフなチャレンジとなるだろう。チームの現状は望ましいものではないが、サッカーの世界で最大級の投資をした効果で安定した基盤がある。我々はソーシャルな問題を捨てなくてはならない。そして、それが出来ればスポーツディレクターにとっても選手たちにとっても物事はより容易になるだろう。そのために我々は出来る事を全て行わなくてはならない」

──ネヴィル監督は来季も監督を続けるのでしょうか。
「ギャリー・ネヴィルは我々の監督だ。我々は彼と選手たちと共に居なくてはならないし、今は監督の去就について分析する時期ではない」

──冬の移籍マーケットでの補強はありますか?
「多くの事について検討し評価を下さなくてはならない。1月の補強はどのクラブにとっても難しい事だ。誰かを連れてくるためには、相手チームの状況も加味しないといけないのだから。我々は、自分たちの監督、選手たちを信じているし、ライバルチームがメスタージャに来た時に恐れを抱くような環境を作り上げなくてはならない。私はそういうメスタージャの中で育ってきたし、それこそが今の我々が取り戻さねばならないものだ」

──ジョルジュ・メンデスとの関係は?
「直近5年間、移籍マーケットでメンデスのオファーを受けた事は一度も無い。全ての代理人と誠実で友好的な関係を持っているが、それは彼らの存在なくしてスポーツディレクターはやっていけないからであり、それ以上の理由はない。アトレティコで働いていた時も、彼は交渉の件数が少ない代理人のひとりだった。その中でもジエゴ・コスタ、チアゴ、ミランダ、シモン・サブローサ、シルビオなど、全ての交渉がアトレティコにとって非常に良いものであったと思う。彼らは皆、アトレティコのために良い仕事をした。ジョルジュは偉大なプロフェッショナルの代理人だが、私が今日ここに居るのは彼ではなく、私に連絡をし、私を納得させたチャン・レイフン会長の意向によるものだ。ジョルジュとは少なくとも半年近く話をしていない」

──あなたにとってのバレンシアは?
「子供の頃から、毎週末に試合を見るために父と一緒にメスタージャに来ていた。ファン・ソルやフェルナンド・バラッチーナら当時のスター選手の事はよく覚えているし、バレンシアは確かに私の幼少時の生活の一部だった。カンテラ在籍時はフェルナンド・ヒネールらとロッカールームを共にした。このクラブは一度は破産もしたが、州政府のサポートがあったからこそ消滅する事無く90周年を迎える事が出来た。そして州政府もお手上げの時にピーター・リムが現れ、クラブを救ったのだ。1億ユーロ以上の金額を費やしクラブを救った彼のおかげで、我々は今もこうしてバレンシアの成績に喜べるし、不満も言える。これは全てのバレンシアニスタにとって人生における幸せにひとつだと言えるのではないだろうか」

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