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デ・パウルのインタビュー

俊敏かつ精巧で、直線的でエレガント。その形容詞の全てに当てはまるのが新加入のロドリゴ・デ・パウルです。今夏、バレンシアがこの20歳の若者に470万ユーロを投じた事は、マーケットでのセンセーショナルなニュースのひとつとなりました。

アリアンサ・リマ戦での素晴らしいパフォーマンスは、彼の力を知るひとつの目安となりそうです。プレシーズンでは背番号14のシャツを着ていますが、彼はバレンシアで10番を背負う事を躊躇しません。そのデ・パウルがピッチの上でスーペルデポルテのインタビュアーとの対談で野心的な将来について語りました。

──ヨーロッパでは初めての挑戦になるけど、オタメンディやピアッティ、バネガといった同胞の選手たちが居る事で快適に過ごせているんじゃない?
「アルゼンチン人選手が居るからという理由だけでなく、非常に良く団結した、人間的に素晴らしいチームに来られたと思っているよ。もちろんアルゼンチン人の仲間がいる事で、あらゆる事が簡単になっている事は確かだ。彼らからここスペインの慣習を教えてもらえるからね」

──サッカーを始めたきっかけを教えてくれる?
「3歳の時に、自宅の近所にあったデポルティボ・ベルグラーノというローカルクラブに入団したんだ。そこで数年プレーして、8歳の時にラシンに行くチャンスを得た。それからはバレンシアからのオファーが届くまで全ての時間をラシンで過ごしたよ」

──子供の頃はどのような選手だったの?
「小さい頃からエンガンチェ(トップ下)で、これまでずっとそのポジションでプレーしてきた。ユースカテゴリーでは沢山のゴールを決めてきたけど、いつからかチームメイトにラストパスを出す事も楽しく感じるようになってきたんだ」

──背番号は常に10番だったの?アルゼンチン人にとってこの番号は特別だよね。マラドーナやメッシ・・・
「うん、小さい頃から10番を付けてプレーしてきた。僕が自分のキャリアで唯一付けてきた番号という事になるね。ここではエベル(・バネガ)がその番号を付けてるけど、彼に相応しい番号だと思う。もしいつの日かその番号が空く事があれば、躊躇なくその番号を手にするつもりだよ。ラシンでも18歳でそうして、19歳でキャプテンマークを付けてきたからね。そこにプレッシャーを感じる事は無いんだ」

──小さい頃と今とでプレースタイルは変わった?
「多くの事が変わったと思う。以前はピッチの中央でプレーするだけの選手だった。ピッチでもあまり走る事がなかったんだ。でも最近はサイドでアップダウンを繰り返して、いろいろなプレーに参加する必要もある事を理解した。日々、あらゆる面で成長するために練習しているよ。良い選手となるために、自分には100万個の課題があると思ってるし、前身するためのキャリアもたっぷりあると思ってる。まだ僕は20歳だからね。チームの役に立ちたいという強い意欲もあるし、チームメイトにとって僕が常にオプションのひとつであるようになりたいんだ」

──デ・パウルがどんなタイプの人間かを少し教えてほしい。
「陽気な人間だよ。家族と過ごすのが好きで、友達ともよくつるんでる。いつも誰かと一緒に居るかな。バレンシアへのステップでひとり暮らしになるからほんの少し寂しくなりそうだけど、この経験も僕を成長させてくれると思ってる。地元の友達と離れても、元気でいられるようにジョークを飛ばしていきたいね」

──家族の重要性を強調しているのは何故?
「アルゼンチンでは、いつも母と兄弟と住んでいた。家を出るのは初めての経験だけど、近いうちに母と彼女がこっちに来て少しの間滞在してくれる予定なんだ。彼女たちが来てくれる事が僕を落ちつかせてくれるんじゃないかな。愛する人が居てくれるというのは自分にとって重要な事だ。僕の家族は僕が赤ちゃんの頃から僕の人生をずっと支えてくれた存在だし、ここに来てから特に家族の事をよく思い出すよ。それにサッカー選手のキャリアの中には、必ずうまくいかない時期がある。そういう時にも家族の支えは必要不可欠だからね」

──両親以外で君の人生に影響を与えた人を教えてくれる?
「祖父のオスバルドだね。彼は僕がサッカー選手となるために多くの面でサポートしてくれた。腕にタトゥーを入れてるけど、祖父がいつでも僕のそばに居てくれると感じられるよう入れたものなんだ。祖父は僕が小さい頃、仕事で忙しかった母の代わりに何度もピッチに行く僕に付き添ってくれた。いつでも祖父と一緒だった。2009年に亡くなってしまったんだけど、今でも遠くから僕を助けてくれていると信じているよ。僕が今こうしてバレンシアに居られるのも彼のおかげだ」

──手首に入っているタトゥーは御祖父さんとの別れの日付なんだね。
「僕は普段ゴールを決めた時、手首にキスをする。祖父には沢山の事で感謝しなければならないし、その気持ちを表すためにそうしてるんだ。このタトゥーを入れた頃、僕はラシンでスランプに陥っていた。でもこのタトゥーを機に、4試合で3ゴール決めてチームを降格の危機から救ったんだ。本当に素敵な偶然だった」

──サッカーはデ・パウル・ファミリーに常に根付いているものなのかな?
「ある意味ではイエスかな。祖父はサッカー選手で、僕にサッカーを教えてくれた最初の人だ。僕の兄弟もサッカーをしてた。でもプロになるまでサッカーに専念出来たのは僕だけだった。兄弟のダミアンとギドは小さい頃はローカルクラブでプレーしていたけど、そこで辞めてしまった。だから彼らは僕のプレーを見るのを楽しみにしてくれている。それと甥っ子もサッカーをしているよ」

──なるほど。その様子だと、若干20歳の若者がバレンシアに行くと告げた時、皆、すごく喜んだんじゃない?なんといってもケンペス、オルテガ、ピオホ、アイマール、アジャラが在籍したクラブだ。
「最初はすごく悩んだよ。イタリアやイングランド、スペインのクラブが興味を持ってくれてるって報道が出ていたからね。最終的にバレンシアに決めた時は皆が祝福してくれた。僕が行きたかった場所だったし、僕にとって大きなステップになる事を皆が理解していたからね」

──イタリア、イングランド、スペインの中で迷ったと言ったけど、決断するにあたって誰かにアドバイスを求めたりした?
「家族には相談したけど、今回の選択肢の中からバレンシアを選んだのは自分自身だ。ファビアン(・アジャラ)からの電話を受けて決断した。ラシンで一緒にプレーした彼の存在は大きかった。彼の事はよく知っていたし、提示されたプロジェクトも魅力的だったんだ」

──南米でプレーする選手のほとんどが持っている夢を君は叶えたわけだ。
「サッカー選手はいつでもヨーロッパでプレーしたいと思ってる。難しいタスクだけど、不可能じゃない」

──君の頭の中にある次の夢を教えてくれる?
「メスタージャが超満員になるとどんな雰囲気になるのかを早く体験したいんだ。客席に誰も居ない状態のメスタージャに入っただけで感動したからね」

──チームの第一印象はどう?
「素晴らしいクオリティを持った選手たちが居て非常に良いチームだと思う。まだチームに来る人、チームを去る人は居ると思うけど、すごくゾクゾクできるチームになると思うよ」

──バレンシアが君を獲得する際、君のラシンでのチームメイト、ルシアーノ・ビエットの購入に関するオプションを付けた。まだそのオプションが生きてるね。
「ルシアーノは大きな才能を持った選手で、きっとこれから素晴らしいキャリアを歩むことになるはずだ。僕らはチームメイトとして約50試合一緒に戦っていて、何も言わなくてもお互いが理解しあえる関係だよ。クラブが彼もここに連れてきてくれたらいいね」

──アリアンサ戦ではメディアプンタとして素晴らしいパフォーマンスだった。でもヌーノは君を左サイドで起用したがっているように見える。メディアプンタと左サイドではどちらが快適にプレーできる?
「ヌ-ノ監督が起用する場所ならどこでも。中に切り込んでいくのも好きだから左サイドでのプレーも気に入ってるよ。最優先する事は何よりもプレーする事だね」

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