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アルフレッド・ディ・ステファノ氏がご逝去

元バレンシアの監督で、現レアル・マドリー名誉会長のアルフレッド・ディ・ステファノ氏が7月7日、マドリード市内のグレゴリオ・マラニョン病院でご逝去されました。88歳でした。

ディ・ステファノ氏は7月5日に心臓発作で意識不明となりグレゴリオ・マラニョン病院に搬送されていました。2005年にバレンシア市内で心筋梗塞で倒れた時には一命を取り留めましたが、今回は残念ながら多くのサッカーファンの願いは届きませんでした。

ディ・ステファノ氏はアルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。1953/1954シーズンからプレーしたレアル・マドリーではヨーロッパ・チャンピオンズカップ5連覇という偉業を始め、在籍した11シーズンでリーグ優勝を8回、リーグ得点王5回記録。同クラブを欧州No.1のビッグクラブへと進化させました。1957年と1959年にはバロンドールの栄誉にも輝いたサッカーの歴史上最高の選手のひとりです。

バレンシアでは3度監督に就任しており、その全てでクラブにとって非常に重要な足跡を残しています。

最初の監督就任となった1970/1971シーズンは就任初年度ながらクラブに24年ぶりのリーグ優勝をもたらし、国王杯でも準優勝という成績を納めました。翌1971/1972シーズンはリーガで優勝したレアル・マドリーに勝点2差の2位、国王杯では2年連続の準優勝となりました。

1974年に一度退任したディ・ステファノでしたが、それから5年後の1979年に2度目のバレンシアの監督就任となりました。リーグ戦では6位に終わりましたが、欧州カップウイナーズカップのタイトルをクラブに初めてもたらし、1年で監督を退きました。

3度目の監督就任、バレンシアでの最後の冒険は1986年の2月に訪れました。クラブが破産し、チームも降格圏に沈む最悪な中での監督就任となりましたが、最終的にクラブを降格から救う事が出来ませんでした。しかし翌1986/1987シーズン、アルトゥロ・トゥソン会長(当時)と共に、2部に落ちたクラブを救うために、ディ・ステファノはバレンシアに留まりました。そして、フェルナンド・ゴメスやリカルド・アリアス、ハビエル・スビラッツ、キケ・フローレス、フェルナンド・ヒネールといった選手たちを従えてリーグ優勝を達成。1年での1部リーグ復帰を果たしました。翌1987/1988シーズンも継続してチームを率いましたが、昇格チームとして迎えた2年ぶりの1部リーグの舞台に苦しみ、降格圏と勝点1差の14位に沈んだところで再び降格の恐れを抱いたクラブ経営陣によって解任されました。

ディ・ステファノ氏がバレンシアの監督として戦った公式戦はクラブ史上最多となる365試合。162勝92分111敗という成績で2つのビッグタイトルを獲得しました。クラブに多くの輝かしい軌跡を残した故人に対して、クラブは公式に公式にお悔やみの言葉を掲載しています。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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