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Kangin Lee - バレンシアに人生を捧げる韓国人プレーヤー

「バレンシアCFはほぼ僕の人生です」

クラン・モンタナについた韓国人プレーヤー、イ・カンインは、契約延長会見で多くの人の心を揺り動かすこの言葉を残しました。彼のこの言葉には、バレンシアのトップチームでプレーするという大きな夢の実現が迫った中で、子供の頃にバレンシアに来て以来、この日のために彼の家族が流した全ての汗と犠牲を思い出しての感情が込められています。

7月24日、おそらく彼の家のカレンダーは赤くマークされることでしょう。この日、17歳のイ・カンインは、クラブの100年の歴史において男子トップチームでプレーした初めてのアジア人選手となりました。息子の夢を実現させるために全てを捨てて地球の反対側からバレンシアにやってきた彼の家族にとって、大きな栄誉となりました。彼の両親と2人の姉妹は、カンインのためだけに彼ら自身の人生を大きく変えました。家族の誰一人としてスペイン語を知らないまま、10歳の息子のサッカーを信じ、彼のために生きてきました。そしてその夢がこの火曜日、スイスの地で実現したのです。

2001年生まれのカンインは、5歳の時に故郷の村でサッカーを始めました。韓国では、その年代の公式戦が無かったため、彼は自身が通う学校のチームに所属しました。その頃から既に地元の注目を集めていた彼を、家族は韓国の何百万人もの視聴者を集めるテレビのサッカー番組に出演させました。この番組でカンインの所属するチームが優勝し、副賞として彼は母親と共にマンチェスターに飛び、韓国の伝説的プレーヤーであるパク・チソンと並んで広告写真を撮るという特典を得ました。この経験が、家族に覚悟をさせたといって良いでしょう。このとき彼の家族は初めて、自分たちの息子に類まれなるサッカーの才能があることを実感しました。

その後、カンインともうひとりの10歳の少年のふたりがバレンシアを訪れ、入団テストを受けました。当時、この2人はスペイン語も英語も話すことが出来ませんでした。彼らを出迎えた最初の人物は、当時のバレンシアの7人制サッカー部門のコーディネーターを務めていたシャビ・モチョリ(現ラ・マシアの指導者)です。カンインは1歳上の2000年生まれの選手たちに混ざりテストを受けました。当時のこの世代のバレンシアにはフェラン・トーレス、ウーゴ・ギジャモン、アベル・ルイス(現バルセロナ)、ビクトル・チュスト(現レアル・マドリー)らが居ました。彼は1歳年下であったにもかかわらず、年齢の差をまったく感じさせることはありませんでした。彼が特別な選手であることを理解するためには、彼が数回ボールに触れるのを見るだけで充分でした。彼の才能と自身、個性はクラブの関係者を大きく驚かせる結果となりました。

モチョリは、彼の成功に疑いを持ちませんでした。しかし、クラブはFIFAの未成年の国際移籍に関するルールを考慮し、10歳の韓国人選手とサインをすることに恐れを持ちました。数回の意見交換会の後、カンインの父親に伝えられたのは「カンインと契約する唯一の可能性は家族全員がバレンシアに移住すること」でした。より具体的には、同じバレンシア県内のプソル市に家を持ち家族全員で住み、働き、子どもたちを学校に通わせるという条件です。

クラブはこれが"無茶な要求"であることを理解していました。そのため、早くからこの類まれなる才能を持った韓国人選手の獲得は諦めていました。しかし、その一週間後にクラブのオフィスの電話を取ったクラブ関係者が聞いたのはカンインの父からの「バレンシアに移住する」という言葉でした。

カンインの父は、バレンシアでプレーするという息子の夢のために母国・韓国にあった全てを捨てる決断をしました。彼らにとっての人生の大きな賭けでした。こうして、バレンシアは"プソル在住の子供"であるカンインと契約をしました。数年後にUEFAがこの獲得について調査をするでしょうが、そこにはあらゆる心配の種はありません。

最初の数年間は、カンインと彼の家族にとって簡単ではありませんでした。耳に入る全ての言葉を翻訳するために、彼は常に携帯電話を手にしていました。彼の2人の姉妹も現在バレンシアで学んでいますが、長女は長い間、家族にとっての翻訳者であり続けました。

カンインの性格は驚くべきものです。10歳の子供が家族全員を養っているという例は一般的ではありません。しかし彼は、家族が彼のためにしたことの全てを理解していました。そして彼の性格はそれをプレッシャーと感じることなく、モチベーションに変えて彼の成長を支えました。

順調にカテゴリを昇格し続けた彼のこれまでの7年間は全て"成功"と呼べるでしょう。バレンシアではアレビンCでキャリアを始めましたが、翌年(2012/2013シーズン)はアレビンAの一員として、Bruneteで
開催された全国選手権の決勝までチームを導きました。バルセロナに敗れたものの大きなポテンシャルを示したことで、その年にマルティン・ビラ(当時のバレンシアのカンテラ統括チームのリーダー)から、クラブと月250ユーロの(練習場に通うための)ガソリン代を支給する援助契約を提示されました。

その翌年(2013/2014シーズン)、11人制サッカーとなったインファンティルBで彼の才能は爆発しました。「彼のサッカーは多くのスペースがある場所で生きる。8人制サッカーでは小さすぎたんだ」と彼を見てきた技術スタッフたちは言います。彼の名前がセンセーションとなったのはクリスマスに開催されたアローナでのU-12国際大会です。彼は得点王のタイトルを獲得しました。大会MVPのトロフィーは、これが"子供たちの大会"だったために、あえて別の選手に与えられたことを主催者が認めています。

彼の高速の成長はとどまることを知りませんでした。欧州の数々のビッグクラブが彼の扉をたたきましたが、それらの動きを牽制すべく、当時アカデミーを見ていたルフェテは彼に、フベニール初年度までの契約をオファーし、彼を手元に残すことに成功しました。そして始まった2014/2015シーズン、インファンティルAではナビル・トゥアイジ(現マンチェスター・シティ)と共にチームを牽引し、Liga Autonómica Infantilで106得点9失点(30試合)という驚異的な成績を収めました。

ここまで並外れたキャリアを続けているにもかかわらず、翌2015/2016シーズンも彼らはさらなる驚きを与えました。VCF財団カデテAに所属し、1歳上の選手たちのリーグ(Liga Autonómica Cadete)でプレーしながらリーグ3位に入る快挙を達成しました。また、バレンシア州U-16選抜でもスペイン全国選手権で準優勝という成績を残しました。

その翌年(2016/2017シーズン)は、彼のキャリアにおける転換期となります。クラブにやってきたホセ・ラモン・アレサンコは、彼の成長にブレーキをかけました。アレサンコはそれぞれのカテゴリーで年齢の低い選手たちがプレーすることを望みませんでした。カンインとナビルが既にLiga Autonómica Cadeteで文句なしの成績を残したにもかかわらず、「急いではいけない」と言い、彼らに同世代の子達と同じリーグで再びプレーすることを命じました。

しかし、このアレサンコの考えを改めさせたのがナビルの退団でした。ナビルは2月1日に16歳になったのと同時にバレンシアを退団しマンチェスター・シティと契約しました。そしてそれから18日、クラブはカンインの16歳の誕生日となる2月19日に彼に契約延長オファーを提示し、フベニールBに昇格させることで、彼の退団を食い止めたのです。もし、ナビルとカンインの誕生日が逆だったとしたら、おそらくカンインがバレンシアを去ることになっていたでしょう。アレサンコにとっての幸運は、カンインとその家族が常にバレンシアでの成功を望んでいたことです。

そして昨年夏にはフベニールAに昇格し、COTIFで大会MVPに輝きました。同時に韓国U-19代表にも飛び級で招集され、アジアカップ予選でプレーしました。12月からはVCFメスタージャに昇格し、ミゲル・グラウ監督の重要なオプションとしてシーズンを終えました。そして今夏、マルセリーノ監督の指導を受けています。

マルセリーノは、彼を見た最初の日から彼のプレーに陶酔し、彼の契約延長を後押ししました。今年5月に開催されたトゥーロン国際大会で、グループステージ全敗で敗退したにもかかわらず大会MVP投票で4位に入ったことで、クラブは"たった1000万ユーロ"に設定されていた彼の違約金を見直す必要に迫られました。そして先日、マテウ・アレマニーは2022年までの契約を結び、違約金を8000万ユーロに増額することに成功しました。

そして火曜日、トップチームでのデビューを夢見てきたカンインは、34番を背負ってデビューを果たしました。彼はマルセリーノが好んだセカンドトップでプレーしました。これまで彼はパテルナでの7年間で、8番あるいは10番のポジションで育ってきました。マルセリーノ監督は自身の4-4-2に彼を組み込むことを想定して、このポジションでのプレーを磨くように彼を指導しています。そして、バレンシアのカンテラで毎年2桁ゴールを記録してきた彼もまた、この特別な20分間で全ての持ち味を披露しました。左足の才能、特別なゲームビジョン、大胆なプレー、自信を持って放たれたシュート。身体的、精神的な成長と共に、やがてスペシャルなプレーヤーになることに疑いの余地は無いでしょう。

17歳ながら既に彼は韓国におけるメディアシンボルです。インスタグラムの彼のフォロワーは急速に増えています。加えて彼のデビュー戦の動画はYouTubeで既に30万回の視聴に達しました。もちろん、この中には彼の両親や2人の姉妹もカウントされていることでしょう。多くの努力と犠牲を経て、彼と彼の家族はついに楽しむための時間にたどり着きました。

» イ・カンイン(プロフィール)

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