オチョトレーナGKコーチ「ママルダシュヴィリはいずれヨーロッパのトップ5のクラブに到達する」
水曜日のEURO2024:ジョージア代表vsポルトガル代表(2-0)が終わった瞬間、バレンシアのGKコーチであるホセ・マヌエル・オチョトレーナは自分に何が起こるかを知っていたようです。
元スペイン代表GKコーチであり、スペインサッカー界で最も優れたGKコーチのひとりである"オチョト"は、自分宛ての着信がギオルギ・ママルダシュヴィリに関するインタビューの依頼であると確信して電話に出ました。
ジョージアのサッカー界にもオチョトレーナほどママルダシュヴィリについて知っている人はいません。この2人は3年間、パテルナで一緒にトレーニングをし、公式戦100試合を戦ってきました。
2021年の夏にバレンシアにやってきたこのダイヤモンドの原石が、当初はBチームのための補強であったことは有名な話です。そして今、多くのヨーロッパのメガクラブが彼を連れて帰りたいと考えています。
シレセンとジャウメの負傷により、当時のボルダラス監督はオチョトと話し、第3GKとして準備していたクリスティアン・リベロではなくジョージアから来たこの若者を開幕戦のピッチに送り出しました。そしてこの試合で非常に素晴らしい仕事を成し遂げた彼はそのままバレンシアのゴールマウスを守り続けました。
「ギオルギがここに来た当時、私達は彼のことを全く知りませんでした。Bチームの選手としてやってきたので、アカデミーの責任者であるルイス・マルティネスは話に聞いていたかもしれませんが。そして7月のある日、彼と初めて会いました。率直に"すごいフィジカルだ、なんて大きな男だ"と言葉を漏らしました。チームメイトの負傷によりいくつかのプレシーズンマッチに出場し、私たちは彼に注目するようになりました。今、彼は3年前より確実に良い選手になっていますが、当時から年齢と経験不足を感じさせない決定的なセービングを見せていました」
"オチョトとギオルギ"は最初の数か月間、英語でコミュニケーションを取りながらお互いを理解しあってきました。オチョトの英語はリヴァプールでラファ・ベニテスと共に学んだスカウス訛りの英語であり、ギオルギの英語はジョージア訛りの英語でした。交わされた会話の中でオチョトが理解したのは「この20歳の若者が自国でほとんど試合に出ておらず、チームでも出場機会を得られていない」ということでした。実際に彼が試合に出場したビデオはほとんどなく、数字の面でも目立ったものはありませんでした。
「ギオルギは、クラブが今も続けているゼロコスト政策(限りなく0に近い金額での補強)によって私たちに与えられた選手のひとりでした。彼にとって最初のシーズンの壁は言語でした。そしてスペインの文化やチームへの適応の面でも苦労していました。彼はとても内向的な子であり、私たちは彼に、もっとチームメイトとコミュニケーションをとってチームに入り込むようにと言わなければなりませんでした」
ピッチの外でのギオルギが内向的な性格であることはよく知られています。彼が謙虚な家族のもとで育ってきたのは明らかです。バレンシアでの彼は一人暮らしをしており、私生活は控えめ。彼の両親もガールフレンドも故郷トビリシに住んでおり、時々バレンシアにやってきます。
彼にとって新しい国、新しい言語で、他のチームメイトたちと関係を築くのはとても難しいことでした。今季の彼はようやく言葉も習得し、チームメイトたちとの会話やジョークを楽しみ始めました。
長いキャリアの中で多くの選手を育ててきたオチョトも、ママルダシュヴィリのような選手は初めてだと言います。
「記憶をたどってみましたが、スペイン代表にもリヴァプールにもバレンシアにも彼のような選手はいませんでした。よく覚えているのは、シレセンとジャウメと話した時のことです。彼らは"ギオルギがとんでもないポテンシャルを持った選手だ"と私に言いました。もし彼を誰かと比較しなければならないとしたら、違いがあることを承知の上で、数年前にアトレティコにやってきた時のクルトワを挙げます。あの長身で失点しないための最後の手段として反射的なセービングを行うという点で近いでしょうか」
ギオルギはオチョトに自分の父が母国のアマチュアクラブでGKコーチをやっており、そこでGKの仕事を学んだと伝えました。
「彼のプレーは私たちが一般的に考えているものとは異なっていました。特定のコンセプトに沿ったトレーニングを学ぶ機会が彼になかったことは明らかでした。分かりやすく言うと、彼は試合を止めてしまうGKだったということです」
「彼はペナルティエリア内でボールをキープしてしまうGKでした。私たちは彼の足元の技術を改善し、ショート、ロング、速い、遅いといった彼がこれまで知らなかった戦術的なコンセプトを理解させる必要がありました。実際、2つのミスを犯したセビージャでの試合の後、彼をスタメンから外さなければならない時期がありました。シレセンが怪我から復帰していたので、彼はベンチに行くことになりましたが、結果的に、加入早々に高いプレッシャーの中でプレーを続けてきた彼にとって良い時間になりました。元々、彼でさえ自分がいきなりトップチームでプレー出来るとは考えていなかったのですから」
ギオルギは、スタメンを外れている間にオチョトと会話をし、自分がこれまで学んできたことが何年も遅れているものであることを認識しました。そしてオチョトの指導により、スペインのどのスクールでも学べる可能性のあるコンセプトも少しずつ理解し始めました。
「23歳になった彼は今、本格的なトレーニングを受けることができています。今季の彼はとても良かったし、今行われているEUROでも同様です。しかし、彼は一歩ずつ進んでいかなければなりません。彼は自分の基礎の不足を改善しなければならないことを認識しています」
「GKという職業は、日に日に要求が高くなっています。今のGKはチームのプレースタイルに適応しなければなりません。例えば足元の技術が不可欠なグアルディオラ監督のシティでプレーすることと、その要素がそれほど重要でない他のチームでプレーすることは同じではありません。それはまるで、土、芝、ハードコートなどあらゆる条件でのプレーにも適応しなければならないテニス選手のようなものです。ギオルギは自分がプレーするチームのスタイルを常に理解しなければならず、改善の余地は大きく残されています」
「メガクラブでの挑戦もいつの日か彼が選択しなければならないステップのひとつです。バレンシアや代表チームでも多くのシュートを浴びているのは確かですが、いわゆるメガクラブでは3本シュートを撃たれたら3本すべてを止めなければなりません。とは言いながらも、彼はいずれメガクラブに到達すると信じています。彼の高い向上心は私が信頼しているポイントの一つです。いずれヨーロッパのトップ5のクラブに到達し、ヨーロッパ最高のGKと呼ばれるようになるでしょう。それが彼が望んでいることですし、私も彼にはその能力があると思っています」