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元バレンシアのロベルト・アジャラのインタビュー

先日、現役引退を発表したアジャラが、引退後始めてバレンシアの街を訪れました。その時にスーペルデポルテによって行われたインタビューです。大変恐縮ですが、自分が興味あるところだけの抜粋かつ超意訳です。

バレンシアはCBを必要としているようだ。アジャラは移籍マーケットに出てるのかな?
「ははは(笑)もし私のコンディションが整っていて、そういう申し出があったらそれはすごく魅力的な話だね。と言っても、これ以上話すと、現在のチームのCBの選手たちに対して敬意を欠くことになってしまう。現在のDF陣は良い時期を過ごしているとは言えないかもしれない。でも私の意見では、これはチーム全体のパフォーマンスによって起きていることだ」

選手の力量の問題ではないということ?
「私はそう思う。もちろん、ずっとバレンシアの情報を仕入れていたわけではない。でも、例えばダビド・ナバーロがどれだけ成長したか、ピッチでどれだけチームを統率できているかは見ればわかる。それと、彼が私と一緒にプレーしていた時の事はわかるよ。でも、退団後に彼と連絡を取り合っているわけではないし、一緒に練習しているわけでもない。だから彼がどのような経験を積んで成長したかまではわからない。ただ、元々彼はDFリーダーになるための要素を持っていた。そして今、彼はチームのキャプテンだ」

君は現役を引退したわけだけど、僕が読んだ記事は"アジャラはラシンでプレーを続けたがっていたが、ラシンがそのドアを閉じた"というものだった。本当はもっと続けたかったの?
「それは違う。ヒザの状態が私がキャリアを閉じると決めた理由のひとつだ。最後の6ヶ月間、ヒザの状態は深刻で、自分でもかなり苦しんでいた。その影響で思うように試合にも出られなかったんだ。自分はチームメイトと同じレベルに居た。抗炎症剤のおかげで痛みは抑えられていたからね。だからプレーを続けることが出来ていた。でも、リーグ戦が終盤にさしかかったとき、医師から真剣に引退について考えるよう言われたんだ。このままでは松葉杖無しでは歩けなくなってしまう日がすぐにやってきてしまう、とね」

君がプレーしていた頃、バレンシアはマドリーやバルサとタイトルを争っていた。今、贔屓目無しに見て、同じような事は可能だと思う?
「とても難しいだろうね」

でも、バレンシアが最後に彼らを制した時だって、簡単じゃなかったはずだ。あの時のバレンシアが戦っていたのはフィーゴ、ジダン、ロナウド、ロナウジーニョ・・・
「もちろん簡単じゃ無かったよ。でも今の彼らは測り知れない違いを見せている。今のバルセロナのサッカーは、私が今までの人生で見てきた中で最高と呼べるものだ」

次にマネジメントの話をしたい。バレンシアにとってアジャラの獲得ほど良い補強は無かったと思う。君はミランでプレーしていなかった。そしてわずか300万ユーロでバレンシアに来た君には、2年後に2000万ユーロの値段がついたんだ。
「そういう意味では、バレンシアに来たときの私はルーザーだった。でもちょうど良い年齢で移籍できたんだと思う。一番脂がのった時期だったと言えるかな。でもここ数年、私の他にも安い金額でバレンシアに加入し、信じられないようなパフォーマンスを見せている選手たちは居る。何故なら今、バレンシアは4位につけているのだから」

君がバレンシアを去った時、クラブはカオスだった。
「当時、私はファン・ソレールと話して、給与面でも、2年という契約年数にも完全にクラブと合意できていた。とても素晴らしい条件であり、私は家に戻って家族にそれを伝えた。私たち家族全員が幸せだったんだ。何故なら、バレンシアから引っ越さなくて良かったし、何よりも自分がバレンシアに居続けたかったからね。ただ、その後にアメデオ(カルボーニ)がスポーツディレクターのポストに就いた。私がクラブと合意していたはずの契約について、彼はノーをつきつけてきたんだ。私は再交渉しなければいけなくなった。彼は会長に私の給与が多すぎると言った。彼が何を考えていたかは知らないが、その後、彼は私の代理人のマティアス・アルダオに当初の提示から減額された給与と1年契約を言い渡した」

カルボーニとアジャラの間に個人的な確執があったの?
「ない。ただ、個人的な関係自体が存在していなかった。私は今でもカニサレスと非常に親しくしているが、そういう意味で言えば、アメデオは決して友人のひとりではなかったんだ。でもだからと言って、関係が悪かったわけではない。共に働く同僚として彼をリスペクトしていたし、私もリスペクトされていた。バレンシアで共に戦い、共に大きなものを勝ち取った仕事仲間のひとりであり、それ以上の事はないという事だ」

カルボーニのメスタージャでのお別れセレモニーの時に君はその場所に居たよね。
「ああ」

挨拶とかハグとか握手とか、何かしらのコミュニケーションはあったの?
「いや、無いね」

君の話を聞いていると、なんだかカルボーニはチーム内に友人が少なかったように思えてくる。
「私は正直、当時自分が考えていた事が覚えていない。ただ、挨拶をしなかったのは確かだ。彼は自らの引退を飾れて良かったかも知れないが、そこには私たちに対する信頼は無かったような気がする」

ビジャレアルへの移籍は前から考えていたの?
「そんなことは無い・・・いや、そうかもしれない。ビジャレアルから最初にオファーが来たのは私のバレンシアでのラストシーズンが始まる前の事だった。だが、バレンシアは直接のライバルの戦力を高める事を嫌がった」

本当ならバレンシアでキャリアを終えたかった?
「そう望んでいたよ。2003年にレアル・マドリーが私を求めてきた。そして、その話が合意とならなかった時に、他のどこに行くよりもバレンシアに居た方が私にとって良い事だと感じた」

マドリーには行きたかったの?
「何が何でもとまでは思わなかったが、答えはイエスだ。それは単にレアル・マドリーのような世界のトップクラブで自分がどこまでやれるかを知りたかったという思いからだ。自分にとって良い機会だと思ったが、実現しなかった。だが、そのおかげで今でも私はバレンシアで親切にしてもらえてるのだと思う。だが、私はバレンシアでのキャリアを終わらせたかったわけではない。そこは勘違いしてほしくない」

君が言っている事は妥当だと思う。サッカー選手であれば一般的に誰もがそう言うだろう。
「ああ、あの時私の周りに居た人間に確認してもらっても構わない。私はレアル・マドリーに行きたかった。ミランから来たが、バレンシアではクラブが私に費やした分を補って余りあるくらい充分に働いたと思った。それに加えて、この時の私の移籍交渉にはバレンシアにとっても興味深いメリットを含んでいたんだよ。あの時私がマドリーに行っていたら、その代わりにバレンシアにはサミュエル・エトーが来る事になっていたんだ」

バレンシアを去った後の君は、これまでと違う選手のようだった。単純に衰えといっていいのかな。
「メンタル面では衰えを感じた事は無い。だが、フィジカル面での変化には自分でも気づいていた。バレンシアでのラストシーズンをしっかり働いたことで、ビジャレアルと契約できたわけだけど、たぶんバレンシアに居たときが自分のピークだったんだと思う。サラゴサに行ってからは、それまでと同じコンディションを維持する事が難しくなっていた。もちろん、それを取り戻そうと努力をしたが、これまでのようなフィジカルに戻すことが出来なかったのは事実だ」

シーズンが終わる半年前にビジャレアルと契約しながら、君がビジャレアルでプレーすることはなかった。何が起きたの?
「とても不思議なことが起きたんだ。私と家族は全ての準備が出来ていた。バレンシアにもう2年住み、ビジャレアルでプレーするつもりでいた。しかし、そこにサラゴサからの熱烈なオファーが届いた。彼らはビジャレアルに違約金を支払い、私にもう一年長い契約を提示してきたんだ」

今回、偶然君とこうして話すことが出来た。私はまたすぐに君がバレンシアの街に戻ってくるような気がしてる。
「バレンシアとの関係が完全になくなったわけではないからね。私はここに沢山の友人を残している。一年もしないうちにまたこの街に来るんじゃないかな。その時はまた会おう」

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