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ビセンテ、光と影の11年

今季でクラブとの契約を終えるビセンテ。バレンシアの選手として過ごした11年間のキャリアは光と影の2面性を持っています。

14番を身につけたビセンテは、21世紀のバレンシアの最初の偉大なレフト・ウィンガーでした。バレンシア近郊ベニカラップ出身の選手は、レバンテでのキャリアを経て、2000/01シーズンにメスタージャのクラブでデビューしました。

彼のキャリアには2つの面を持っています。そのうちのひとつはハイ・パフォーマンス、ゴール、鋭い突破力という言葉で飾られるべきとても輝かしいものでした。しかし、この一面が継続されたのは2004年までの事でした。もうひとつの面は負傷、信頼低下、数人の監督とのすれ違いという言葉に集約されます。全ては2004年9月のブレーメン戦で負った足首の負傷にがきっかけで、これが彼の運命を大きく変えました。

ビセンテが彼自身の最高のレベルに居た時、彼はとても重要な成果をクラブにもたらしていました。この間、バレンシアは2度のリーグ優勝、UEFAカップ、UEFAスーパーカップを獲得し、2004年には世界最高クラブにも選ばれていたのです。実際に、彼が負傷で継続してプレーできなくなってからのバレンシアは、彼が加入した2000年以降、初めてスポーツ面で後退する事になりました。その後のスポーツ面での唯一の成功は2008年の国王杯のみです。この事からも、彼の継続したハイパフォーマンスがクラブの成功を呼び起こしていた事がわかります。

ビセンテの最初の数年間は、とても輝かしく、あっという間にアルゼンチン代表のキリ・ゴンサレスのポジションを奪い、バレンシアの左サイドの制圧しました。この間、彼はスペイン代表にも上り詰め、38試合に出場しています。

彼のベストシーズンは2003/04でしょう。このシーズンもレギュラーとしてプレーしたビセンテはリーグ戦で12ゴールを奪い、彼の人生で最も重要な2つのゴールを記録しました。そのうちのひとつはリーガのタイトルを獲得する事になったセビージャ戦で得たもの、もうひとつはUEFAカップ決勝戦でマルセイユ相手に決めたPKです。

ポルトガルでの欧州選手権に出場したすぐ後にも、彼はUEFAスーパーカップを勝ち取りました。そして運命の2004年9月29日、2-1で敗れる事になったドイツでのヴェルダー・ブレーメン戦で、彼は前半1分にチームの先制点を決めました。しかし、この試合で相手選手の悪質なファウルにより後半33分に負傷交代、その5分後にバレンシアはこの試合の決勝点を奪われました。この一戦が彼のキャリアの行く末を180度変える事になったのです。

彼のキャリアを占めていた成功、歓喜、賞賛、ゴール。その全てが悲嘆に替わりました。彼はジムでとても多くの時間をリハビリに費やし、瞬間的にチームに戻っては再び負傷を繰り返すという日々を送る事になりました。彼のダイナミクスはここ数年違う表情を見せています。そしてロナルド・クーマンや、ウナイ・エメリといった数人の監督とのすれ違い、そしてそれと同じようにクラブのメディカルスタッフとのすれ違いも彼のパフォーマンスが向上しなかった事についての補足的な要因です。

ビセンテが残した記録も大きく2つに分ける事が出来ます。バレンシアの選手としてここまで242試合に出場してきましたが、そのうち125試合が最初の4シーズンで記録され、残りの117試合は後の7シーズンで記録されたものです。また、欧州カップ戦に66試合出場していますが、このうち39試合が2003/04シーズンまでに積み重ねられた数字で、残りの27試合がそれ以降に加えられたものです。

今年30歳になるビセンテは、今季リーグ戦13試合に出場し、ビルバオとのホームゲームで1ゴールを記録しています。そして今夜、彼がサッカー選手として育った古巣レバンテとのダービーというバレンシアーノのビセンテにとってこれ以上無い舞台で、偶然にも彼の背番号と並んだ今季"14度目"の出場を果たした後に、偉大な"14番"はメスタージャに別れを告げます。

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