PK職人ジャウメ・ドメネク
「ジャウメ・ドメネクが居る限り、残りのGKは一刻の油断も許されない」──これはGKコーチのオチョトレーナの言葉です。
昨夏バレンシアにやってきたジャウメ・ドメネクは、VCFメスタージャのカピタネスのひとりとしてシーズンを終えました。ジュキッチ、ピッツィ両監督によってトップチームにも数回招集され、今年5月にはチームとの複数年契約も勝ち取りました。そしてペルーではバレンシア加入後初めての素晴らしい夜を過ごす事になりました。
土曜の深夜に行なわれたペルーでの一戦でヌーノ監督は、負傷したジエゴ・アウヴェスに替わりグアイタではなくこのカンテラのGKに信頼を置き、ピッチに送り出しました。そして彼はこの試合でその信頼に充分に応えたと言えます。彼のパフォーマンスに危険な個所は一度もありませんでした。そして彼の本領が発揮されたのは2-2で90分の試合を終えた後のPK戦です。
パテルナ練習場に置いてこのアルメナラ出身のGKは、既にPK職人としての地位を確立しています。昨季のVCFメスタージャのリーグ戦で彼は、5度のPKでわずか1失点しかしていません。
そしてPK戦については、彼はリマの国立競技場のピッチに立つまで人生で一度も負けた事がありませんでした。アリアンサ・リマとの一戦で生まれて初めてPK戦での敗戦を経験する事になりましたが、彼は自分が敗者となったとは感じていません。
ジャウメは4本のシュートを止め、自分自身でも見事にゴールを決めました。しかし、審判はそのうちの2本で「シュート前に前方に出たため」という理由でGKのファウルを取り、ペルーのチームに蹴り直しのチャンスを与えました。これは相手がPKの蹴る際、前傾姿勢で小さなホップを取るジャウメのスタイルを否定するものでした。そしてこのわずか数センチのステップはPK成功の可否に影響を与えるものではありません。
PK戦が終わった後、ジャウメ・ドメネクは審判の判定に激怒していました。しかし、バレンシアの選手たちは彼を落ちつかせ、彼のパフォーマンスを称賛しました。ロッカールームで揉みくちゃにされていた姿も見られています。
彼にとってこの試合は特別なオマージュを備えた一戦でした。試合の行われる2日前の金曜日に、彼の祖父ジャウメ・ドメネク(選手と同じ名前)が亡くなったのです。南米ツアーに参加しているジャウメは故人にお別れを言う事が出来ていません。そのため彼は、自分と祖父の名前が入った26番のシャツを着て、空を指してからピッチに入りました。
ジャウメはビジャレアルのカンテラで8年間、最初から常にGKとして過ごしました。昔のスーペルデポルテのインタビューで彼の両親は「幼い頃のジャウメは背が低かったのでGKとしてプレーを続けていく事は出来ないだろう」と語っていました。しかし彼は、彼の故郷アルメナラの出身で元バレンシアのヒセ・ビセンテ・フォルメントの助言に耳を傾け、努力を重ねました。彼の全ての苦労を支えてきたのは、彼を練習場へ連れて行っていた母マリア・ホセです。
2012年にビジャレアルを去った彼はエル・パロを新天地に選びました。そこでの半年間で彼がプレーした17試合で、チームは一度も敗れる事はありませんでした。そしてニコ・エステベス監督の手によってウラカンに引き抜かれ、さらにエステベスと共にバレンシアにやってきました。彼にとって今季が最も大きな飛躍の年になるかもしれません。