The Legend of Valencia CF
クラウディオ・ロペス
Claudio Javier López
- 国籍
- アルゼンチン/スペイン
- 誕生日
- 1974.07.17
- 出身地
- リオ・テルセロ (コルドバ州/アルゼンチン)
- 身長 / 体重
- 178cm / 75kg
- ポジション
- FW, LW, RW, LH, OH
- 背番号
- 16(96/97), 7(97/98~99/00)
- 代表歴
- U-23代表(96), A代表(95-03)
- 国際大会出場
- アトランタ五輪1996(銀メダル), W杯1998, W杯2002
- 国際Aマッチ
- 58試合出場 10得点
- 在籍期間
- 1996/1997 - 1999/2000
- 公式戦デビュー
- 1996.09.07 (vs Real Sociedad / リーグ戦)
シーズン | 所属チーム | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
88-89 | Independiente Rio Tercero (ARG) | ||
89-90 | Huracan de Cordoba (ARG) | ||
90-91 | Estudiantes de La Plata (ARG) | ||
91-92 (92.1-) |
Estudiantes de La Plata (ARG) | ||
Universidad Cordoba (ARG) | |||
92-93 | Racing Club (ARG) | 19 | 1 |
93-94 | Racing Club (ARG) | 36 | 4 |
94-95 | Racing Club (ARG) | 26 | 3 |
95-96 | Racing Club (ARG) | 31 | 13 |
96-97 | Valencia CF | 32 | 3 |
97-98 | Valencia CF | 32 | 12 |
98-99 | Valencia CF | 32 | 21 |
99-00 | Valencia CF | 34 | 11 |
00-01 | SS Lazio (ITA) | 16 | 0 |
01-02 | SS Lazio (ITA) | 29 | 10 |
02-03 | SS Lazio (ITA) | 34 | 15 |
03-04 | SS Lazio (ITA) | 27 | 4 |
04-05 | Club America de Mexico (MEX) | 33 | 18 |
05-06 | Club America de Mexico (MEX) | 30 | 5 |
06-07 (07.1-) |
Club America de Mexico (MEX) | 12 | 3 |
Racing Club (ARG) | 17 | 5 | |
07-07.12 | Racing Club (ARG) | 16 | 5 |
08 | Kansas City Wizards (USA) | 28 | 6 |
09 | Kansas City Wizards (USA) | 29 | 7 |
10 | Colorado Rapids (USA) | 11 | 0 |
Retired |
コンペティション | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1部リーグ | 130 | 47 |
国王杯 | 15 | 9 |
UEFA CL | 16 | 5 |
UEFA CL 予備戦 | 2 | 1 |
UEFAカップ | 10 | 5 |
カップウイナーズカップ | 0 | 0 |
インタートトカップ | 5 | 5 |
スペインスーペルコパ | 2 | 1 |
UEFA スーパーカップ | 0 | 0 |
現役時代のチームタイトル
- 98/99 国王杯
- 98/99 インタートトカップ
- 99 スペイン・スーパーカップ
- 00 イタリア・スーパーカップ
- 03/04 コッパ・イタリア
- 04/05 メキシコ後期リーグ
- 05 メキシコ・スーパーカップ
- 06 CONCACAFチャンピオンズカップ
- 10 MLSカップ
現役時代の個人タイトル
- 02/03 イタリア・セリエA アシスト王
- 愛称は「ピオホ」("シラミ"という意味と"小さい"という意味がある)。
- 奥様はスペイン人。
- 4年しか過ごしてないものの、バレンシアの街が好きで、オフのたびに遊びに来ている。
- マナーの悪い日本人ファンに嫌な思いをしたことがあるらしく、あまり日本が好きではないらしい。
- 2トップを組む際の一番フィーリングが合う相手は、アトランタ五輪時のチームメイトで、ラツィオでもコンビを組んだアルゼンチン代表FWエルナン・クレスポ。
- バルセロナキラーで、バレンシア在籍時はバルサと戦った15試合で12ゴールをあげた。
- アルゼンチン代表通算55試合出場で10ゴール。
- 88年夏、地元のアマチュアクラブインデペンディエンテ・リオ・テルセロに入団。
- 89年、フフイ州の国際ユーストーナメントで優勝。
- 90年夏、エストゥディアンテスへ移籍。この時の移籍金は5000ドル。
- 92年、アルゼンチンU-17代表の候補として名前が挙がるも代表メンバーには入れず。
- 92年9月20日、リーグ戦:デポルティボ・エスパニョール戦で後半14分からの途中出場でプロデビュー。
- 95年5月、南アフリカ代表戦でA代表デビュー。
- 96年夏、アトランタ五輪で銀メダル獲得。
- 96年10月、アトレティコ・マドリー戦で50mのゴラッソを決め、名を上げる。
- 98年夏、フランスW杯にて日本代表のW杯初戦の相手として立ちはだかる。 また、同大会の準々決勝:オランダ代表戦でファンデルサールの股を抜く技ありのゴール。このゴールが大会100ゴール目となる。
- 98/99シーズンの年間チーム得点王(トータル38ゴール/リーグ戦21ゴール)。
- このリーグ戦21ゴールは98/99シーズンの得点ランク3位。
- 99/00シーズン、UEFA CLで準優勝。準決勝バルサ戦でチームの4点目を決める等、旋風を巻き起こす。
- 00年夏、ラツィオに移籍するも左ヒザの靭帯断裂により、シーズンの半分近くを棒に振ってしまう。
- 02年夏、日韓W杯終了後にバティストゥータを非難し不仲になる。
- 02/03シーズン、所属するラツィオでリーグ戦12アシストを記録し、アシスト王に輝く。
- 04年12月、メキシコのアカプルコで海水浴中に溺れ、死にかける。
- 04/05シーズン、後期リーグ(05.1-6)で優勝。自身もシーズン14ゴールをあげる活躍で(17試合)得点ランキング2位になる。
- 06年、所属するアメリカで北中米クラブ王者に輝く。
- 06年12月、所属するアメリカでクラブW杯のメンバーとして来日。大会は4位で終える。(2試合出場ノーゴール)
- クラブW杯終了後、古巣のラシン・クラブへ1年契約での完全移籍。
- 07年12月、ラシン・クラブを契約満了により退団。
- 08年3月、カンザスシティーへフリーで移籍。2年契約を結ぶ。
- 10年4月、カンザスシティーを契約満了により退団。コロラド・ラピッズと2年契約を結ぶ。
- 10年12月、コロラド・ラピッズとの契約を解消。MLSの再入団ドラフトでも指名されず、無所属となる。
- 11年9月、現役引退を発表し、ラリーの世界に進む。
- 19年3月、バレンシアCF創設100周年記念試合に出場。
- 23年3月、ダビド・ビジャの会社DV7Groupのアドバイザリー・カウンシルに就任。