ズラトコ・ザホヴィッチ
Zlatko Zahovič
- 国籍スロヴェニア
- 誕生日1971.02.01
- 出身地マリボル (スロヴェニア)
- 身長・体重180cm / 76kg
- ポジションFW, OH
- 加入時の移籍金14億5000万ペセタ(約871万ユーロ)
- 退団時の移籍金なし (マルチェナとのトレード)
- 代表歴A代表(92-04)
- 国際大会欧州選手権2000, W杯2002
- バレンシア公式戦デビュー2000.08.09 (vs FC Tirol Innsbruck (AUT) / UEFA CL予選)
シーズン | 所属チーム | 試合 | 得点 | 備考 |
---|---|---|---|---|
87-88 | NK Kovinar (SLO/YUG) | |||
88-89 | NK Kovinar (SLO/YUG) | |||
89-90 | Partizan Belgrado (YUG) | 9 | 1 | |
90-91 | FK Zrenjanin (YUG) | 25 | 0 | レンタル |
91-92 | Partizan Belgrado (YUG) | 13 | 2 | |
92-93 | Partizan Belgrado (YUG) | 15 | 3 | |
93-94 | Vitoria Guimaraes (POR) | 24 | 1 | |
94-95 | Vitoria Guimaraes (POR) | 22 | 4 | |
95-96 | Vitoria Guimaraes (POR) | 27 | 8 | |
96-97 | FC Porto (POR) | 26 | 7 | |
97-98 | FC Porto (POR) | 29 | 6 | |
98-99 | FC Porto (POR) | 29 | 14 | |
99-00 | Olympiacos FC (GRE) | 14 | 7 | |
00-01 | Valencia CF | 20 | 3 | |
01-02 | SL Benfica (POR) | 21 | 6 | |
02-03 | SL Benfica (POR) | 28 | 6 | |
03-04 | SL Benfica (POR) | 21 | 2 | |
04-05 (05.1-) |
SL Benfica (POR) | 10 | 0 | |
Retired | ||||
07- | NK Maribor Sports Director (SLO) |
コンペティション | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1部リーグ | 20 | 3 |
国王杯 | 1 | 2 |
UEFA CL | 8 | 1 |
合計 | 29 | 6 |
チームタイトル
- 92/93 ユーゴスラヴィアリーグ
- 92 ユーゴスラヴィアカップ
- 96 ポルトガル スーパーカップ
- 96/97 ポルトガルリーグ
- 97/98 ポルトガルリーグ
- 97/98 ポルトガルカップ
- 98 ポルトガル スーパーカップ
- 98/99 ポルトガルリーグ
- 99/00 ギリシャリーグ
- 03/04 ポルトガルカップ
- 04/05 ポルトガルリーグ
SDとしてのタイトル
- 08/09 スロヴェニアリーグ
- 09 スロヴェニア スーパーカップ
- 09/10 スロヴェニアカップ
- 天才肌のトラブルメイカーで、所属するクラブでことごとく問題を起こすタイプ。バレンシア在籍中もクーペル監督と口論をした。
- 息子のルカ・ザホヴィッチは2013年にNKマリボルでプロデビュー。
- 99年夏、スロヴェニア史上最高額となる1000万ポンドでオリンピアコスに完全移籍。しかし、アルベルト・ビゴン監督の戦術に不満を漏らしてチームから外される。
- 00年4月、ビゴン監督解任後にチームに復帰するも「ギリシャのサッカーは三流レベル」と発言して所属するオリンピアコスに居られなくなったため1年で退団。
- 00年6月、EURO2000に背番号10を付けて参加。初戦のユーゴスラヴィア戦で2ゴールを挙げるなど、グループステージ3試合で3ゴールを記録。
- 00年7月、EURO2000終了後にバレンシアに入団。
- 00年10月、UEFA CL:アウェーでのオリンピアコス戦を控えて、在籍時の素行の悪さや発言を理由に沢山のオリンピアコスファンから殺害予告を受けたため、この試合で招集外となる。
- 01年5月、UEFA CL決勝:バイエルン・ミュンヘン戦でPK戦の3番手キッカーを務めるも、オリヴァー・カーンにPKを止められてしまった。
- 01年夏、当時ベンフィカに所属していたマルチェナとのトレードで退団。
- 02年日韓W杯の初戦で途中交代させられた事でカタネッツ監督を批判し、大会中に帰国を命じられる。
- 05年1月、トラパットーニ監督の構想外となったため、退団。そのまま現役を引退する。
- 07年8月、地元のクラブであるNKマリボルのスポーツディレクターに就任。23年7月も同職を務めている。
- 国際Aマッチ通算80試合出場35ゴール。これは共にスロヴェニア歴代1位の記録。