アリエル・オルテガ
Ariel Arnaldo Ortega
- 国籍アルゼンチン
- 誕生日1977.09.01
- 出身地レデスマ (フフイ州/アルゼンチン)
- 身長・体重170cm / 64kg
- ポジションFW, OH
- 加入時の移籍金17億3500万ペセタ(約1042万ユーロ)
- 退団時の移籍金230億リラ(約1200万ユーロ)
- 代表歴U-23代表(96), A代表(93-10)
- 国際大会W杯1994, アトランタ五輪1996, W杯1998, W杯2002
- バレンシア公式戦デビュー1996.09.07 (vs Real Sociedad / リーグ戦)
シーズン | 所属チーム | 試合 | 得点 | 備考 |
---|---|---|---|---|
90-91 | CA River Plate B (ARG) | |||
91-92 | CA River Plate (ARG) | 14 | 1 | |
92-93 | CA River Plate (ARG) | 27 | 5 | |
93-94 | CA River Plate (ARG) | 29 | 4 | |
94-95 | CA River Plate (ARG) | 25 | 7 | |
95-96 | CA River Plate (ARG) | 23 | 7 | |
96-97 (97.1-) |
CA River Plate (ARG) | 16 | 6 | |
Valencia CF | 12 | 7 | ||
97-98 | Valencia CF | 20 | 2 | |
98-99 | UC Sampdoria (ITA) | 27 | 8 | 2部降格 |
99-00 | AC Parma (ITA) | 18 | 3 | |
00-01 | CA River Plate (ARG) | 27 | 9 | |
01-02 | CA River Plate (ARG) | 29 | 14 | |
02-03 | Fenerbahçe SK (TUR) | 14 | 5 | |
03-04 | 無所属 | |||
04-05 | Newell's Old Boys (ARG) | 24 | 5 | |
05-06 | Newell's Old Boys (ARG) | 29 | 6 | |
06-07 | CA River Plate (ARG) | 18 | 4 | |
07-08 | CA River Plate (ARG) | 26 | 4 | |
08-09 | CS Independiente (ARG 2部) | 25 | 4 | レンタル |
09-10 | CA River Plate (ARG) | 22 | 3 | |
10-11 (11.1-) |
CA River Plate (ARG) | 16 | 1 | |
CA All Boys (ARG) | 12 | 0 | レンタル | |
11-12 | Defensores de Belgrano (ARG 3部) | 27 | 4 | レンタル |
Retired |
コンペティション | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1部リーグ | 32 | 9 |
国王杯 | 3 | 0 |
UEFAカップ | 0 | 0 |
合計 | 35 | 9 |
チームタイトル
- 91/92 アルゼンチンリーグ前期
- 93/94 アルゼンチンリーグ前期
- 94/95 アルゼンチンリーグ前期
- 96 リベルタドーレス杯
- 96/97 アルゼンチンリーグ前期
- 99 イタリア スーパーカップ
- 01/02 アルゼンチンリーグ後期
- 04/05 アルゼンチンリーグ前期
- 07/08 アルゼンチンリーグ後期
- 愛称は「エル・ブリート」("ロバ"の意)。
- サッカー界の歴史に残るドリブラー。
- 91年12月、当時のパサレラ監督に抜粋され、17歳9ヶ月でプロデビュー。
- 93年12月、ドイツ戦でA代表デビュー。
- 94年夏、W杯にて、マラドーナが自身初の途中交代となった際に、交代で出場し、「マラドーナの後継者」と評されるようになる。
- 96年夏、アトランタ五輪で銀メダル獲得。
- 96年12月、リーベルの一員としてトヨタカップで来日。おしくもユヴェントスに敗れる。
- トヨタカップ終了後、当時のクラブ史上最高の移籍金17億3500万ペセタでバレンシアに加入。
- 加入した96/97シーズンこそ同胞のバルダーノ監督の元、リーグ戦12試合で7ゴールと大活躍するが、97/98シーズンに入りバルダーノ監督が解任されると、素行の悪さが響き、ラニエリ監督とたびたび衝突。 リーグ戦も途中出場が多くなり、20試合でイエロー10枚レッド2枚と、目立った活躍が出来ないまま退団。
- 98年夏、W杯準々決勝オランダ戦でペナルティエリア内でダイブ。怒って抗議に来たファンデルサールに立ち上がりざまの頭突きをかまし一発退場となる。アルゼンチン代表はこの試合で敗退。
- 02年夏、フェネルバフチェに加入するもトルコでの生活に馴染めず、クラブに無断でアルゼンチンに逃げる。
- この行為をクラブから訴えられ、FIFAから契約解除に伴う違約金支払い+無期限出場停止の処分を下される。
- この処分に落胆したオルテガは現役を引退。アルコール依存症にもなってしまう。
- 04年夏、ニューウェルスがフェネルバフチェへの違約金を肩代わりし、FIFAからの処分が解かれる。そのままニューウェルスの一員として現役復帰。
- 08年夏、一向に治らないアルコール依存症が理由でリーベルのシメオネ監督の構想外となり、リーベルを退団。
- 09年9月、6年ぶりにアルゼンチン代表に招集されるもケガのため辞退。
- 10年4月、ハイチ代表戦でおよそ7年ぶりに国際Aマッチに出場する。
- 11年1月、リーベルでホセ・ロペス監督に「このチームで何よりも必要ないものはお前だ」と言ってしまい、監督の構想外に。その5日後にオール・ボーイズにレンタルに出される。
- 11年4月、オール・ボーイズで監督の構想外となる。
- 12年8月、現役引退。
- 13年4月、強盗に遭い、現金、携帯電話、愛車のBMWを盗まれる。3日後に犯人が逮捕され、車は無事取り戻せた。
- 国際Aマッチ通算87試合出場、17ゴール。